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「おや」
「ういっす」
明けましておめでとうございます、と言って頭を軽く下げた若林に対して御神はぞんざいに頷
き返す。
「何や、イナミン。お前もか」
そして彼の隣にそっと控えていた飛鳥に向かって声を掛けるとはぁ、と盛大な溜息を漏らした。
「今年も野郎ばっかりかぁ・・・ワイもカヅはんらと一緒に初詣に行けばよかったわ」
「美沙紀さんや紫上さん、一之瀬さんとそれに真田さん達は、後で合流するそうですよ」
「なぬ?ホンマか、マコ」
「ええ」
若林の言葉に、御神のくすんでいた顔色はどんどん血色の良いものになっていって。
「そーか、そーか。ならええわ」
さっきとは打って変わって嬉しそうに口笛を吹いて歩き出す。
若林は解けかけた飛鳥のマフラーをそっと直し、二人は御神を追いかけるようにして歩く。
彼らの向かう場所は一緒。
そしてその目的地では巌のように険しい形相で今か今かと彼らを待つ宝蔵院の姿があった。
御神は彼の姿を見つけるなりひっ、とくぐもったような悲鳴を上げる。
「うおっ!何や、びっくりさせおって。でっかい岩が遠せんぼしてんのかと思ったわ」
「遅い!いいか、お主等。元旦とは一年の初め。大事な日なのだぞ。それをちんたら、特に、
御神。そんな間抜けな面構えでここに来るとは・・・情けない。その性根を叩き直さねばなる
まいな」
「こら、おっさん。ワイの顔の何処が間抜けやっちゅーねん」
「全部だ」
「何やと?」
ぎりぎり、と歯を噛み締めた御神が宝蔵院にガンを飛ばす。宝蔵院も仁王のような面持ちで
彼を睨みつけた。
このままでは新年早々喧嘩が始まりそうだ。
それまで黙って見つめていた飛鳥が二人を止めようと手を伸ばしたその時。
ぱん、と若林が手を叩いた。
「そこまでにしませんか」
飛鳥ははらはらしながら若林を不安そうに見つめる。
「お正月は本来、静かに厳かに過ごすものでしょう?僕達は書を書きに来たのですよね、御
神さん。そうではありませんか、宝蔵院先輩?」
「ま・・・まぁ」
「そうだが」
ばつの悪そうな顔で二人は頷いた。
「だったら」
若林は笑みを絶やさず静かに言葉を紡ぐ。しかし、彼らは知っていた。
彼の今浮かべている表情が、明らかに怒っている時のものだと。
「飛鳥さんが困っています。どうか喧嘩はそこまでにして下さいませんか」
「・・・おう」
「・・・わ、分かった」
ほっと胸を撫で下ろす飛鳥とは対照に、だらだらと汗を流す宝蔵院と御神。
つい一ヶ月ほど前に、飛鳥にちょっかいを掛けた京羅樹がどんな目にあったのかを知ってい
たからである。
丁寧な口調と物腰の柔らかさで、情けなさそうに見えている若林が実はどんなに恐ろしい男
かが分かってからは誰も飛鳥をからかったりする度胸のある者は九条と、それから幼馴染の
伽月しか居なくなった。そう、彼が仕えていたあの美沙紀でさえも。
「では、飛鳥さん。道場に参りましょうか」
「・・・うん」
意気揚揚と靴を脱いで上がる若林と、その隣で嬉しそうに微笑む飛鳥の後ろで。
「ワイ、やっぱアイツ怖い」
「・・・気が合うな、わしもだ」
同時に二人は肩を落とした。
かし、かし、かし、かし。
一心不乱に墨をする飛鳥の横で、若林は既に半紙の上でさらさらと筆を動かしている。
一方その脇でもう何枚目かになる半紙を文鎮で押さえて筆を鼻と口の間に挟んで唸ってい
るのは当然御神だ。頬には既に墨がついている。
「出来たか」
筆を置き、するりとたすきを解いた宝蔵院が彼らに声を掛けた。
「わしは出来たぞ。今年は、これじゃあっ」
鼻息荒く彼が半紙を掲げるとそこには名前を書くスペースが無いほどに大きく「夷険一節」と
書かれていた。
「どういう意味や」
「いいか」
宝蔵院はよくぞ聞いてくれたとばかりに胸を反らした。
「自らの運命が平穏なものであろうと、またそれが険しいものであろうと、節操を変えず職責
をまっとうするという意味だ。わしはこれを今年の目標にして精進するつもりじゃ」
「おっさんの場合の職責はまず討魔というよりは卒業やな」
「・・・痛いところを突いてくるなぁ、お前も」
渋い顔をした宝蔵院に、御神はふふん、と鼻を鳴らすと「ワイも書いたで」と嬉しそうに言った。
そしてまだ何を書こうか悩んでいる飛鳥に向かって大声で怒鳴る。
「なぁ、見たいかイナミン」
顔を上げた飛鳥はうん、と頷いた。
「ほな、行くで」
ぱらっ。
「じゃ、じゃーんっ!」
『完全無欠』
「無理だな」
「思いっきり否定する事ないやないかっ!ええか、志ってのは高く持つもんや。どんなに難し
くても努力を惜しまなければ叶う事やってあるんやで」
「その通りですよ、御神さん。良い事言いますね」
若林は感心した顔で御神を褒め称える。そうして自分も筆を置いた。
「僕のはこれです。目標というか・・・希望なんですけどね、生涯の」
流れるような美しい字が並んでいたその紙を飛鳥は熱心に見つめた。
「・・・意味、分かりますか?飛鳥さん」
「ううん」
首を振る彼に若林は右手で優しく髪を撫でる。
「教えてあげますよ・・・後で。二人きりになったらね」
「もう、いい。お主達の仲の良さはもう知っておるから・・・さっさと雑煮でも食ってから帰れ」
「でも・・・」
まだ一文字も書いていない飛鳥は口を尖らせた。
「これ以上イナミン達の邪魔をしたらワイらどんな目に合うか分からん。もうマコはお前を食い
たくて仕方ないって顔しとるやないか。いちゃつくのはここ出てからにせぇや」
そうなの?と飛鳥は若林の顔を見る。いつもと変わらない優しい笑顔。
「勿論です」
彼らは仲良く手を繋いで、後から来ると言っていた伽月たちにも会わず、とりあえずお雑煮だ
け二杯ほどご馳走になってから、宝蔵院家を後にした。
「おっさん」
「なんだ」
「ワイ、この言葉の意味よう分からんのやけど」
「・・・ああ」
『偕老同穴』。
紙を手に持って首を捻る御神に、宝蔵院は少々投げやり気味に、説明をし始めた。
飛鳥はというと数時間後寮の彼の部屋の布団の中で、言葉の意味を囁くように教えられて。
嬉しいと呟く唇に、若林は念を込めて自分のそれを静かに重ねた。
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