黄昏月




「あーっ、ダーリンだ!おーい、ダーリーン!」

伊織がいち早く、スタスタと通りの向こうを歩いている飛鳥に目を留め叫んだ。
『紫陽花』に入ろうとしていた薙、崇志、凛が一斉に振り向く。
呼ばれた飛鳥も足を止め、声のした方向にちらりと視線を投げると両手をブンブンと振ってい
る伊織に向かって軽く会釈をした。
「今ね、皆でお茶しようとしてたところなの。ダーリンも一緒に行こ!」
駆け寄って彼の手を取り可愛らしく笑う伊織の眼差しには「断ったら承知しねぇぞ」という脅迫
めいたものがありありと込められている。
飛鳥は晃の受難を間近で見て来たから逆らう勇気等まったく無く。
表情を変えない薙と、「ハロー」と片手を上げて微笑む崇志とそっぽを向いている凛の顔色を
伺いながら、「・・・お邪魔してもいいんですか?」と聞いてみる。
「僕は別にどうでも。キミがしたいように」
「全然オッケー。いっつも同じメンバーでオレっちも飽きてたからさ。寧ろ嬉しいね」
「悪かったな、同じで。伊波、私も歓迎するぞ」
二人からは了承を得たようだが、どっちつかずな薙の発言に飛鳥が思い悩んでいると伊織が
くすりと笑って彼の真意を説明してくれた。

・・・どうやら、彼はあれでも歓迎してくれているらしい。

「さ、入ろ入ろ」
飛鳥の肩を抱いた伊織が真っ先に『紫陽花』のドアに手を掛け奥に一歩踏み入れる。キン、と
冷えた空気が顔を撫でると同時に鉄のきしんだ様な音と、カラン、コロンというベルの音が重
なって聞こえてきた。
「いらっしゃいませ」
髪を一つに束ね、黒いメイド服に身を包んだウエイトレスが丁寧にお辞儀をし、「5名様ですね」
と人数を確認すると店の一番奥のテーブルに彼らを案内する。
ご機嫌で腕を組んで隣に座る伊織を困ったように見つめながら飛鳥はメニューを探す。
「今持って参ります。少々お待ち下さい」
彼の様子に気づいたウエイトレスが微笑んでその場を立ち去った。
「いいよね。最近入ったばかりらしんだけどさ、オレっちああいう子めちゃめちゃタイプなんだよ
なぁ。電話番号聞き出そうとしてるんだけど全然相手にしてくれないのよこれが」
後姿を目で追い。はぁ、とわざと大袈裟にため息をついた崇志の隣で薙がぼそっと呟く。
「崇志は昔から手に入らないものがあると意固地になって追いかける癖があるから。でも程々
にした方がいいと思う」
「いやー、簡単に手に入るもんなんてつまらないっしょ?」
凛も眉根を寄せて薙に同意する。
「お前はそうやって誰彼構わず女の子を追い掛け回すから節操ナシだって言われるんだ。な、
そう思うだろ伊織」
「え?あたしはダーリン一筋だもぉん」
普通にしていれば本当に可愛い伊織は「ね」と飛鳥の顔を覗き込んだ。
「・・・あ・・・あはははっ」

ね、といわれても。

どう返してよいか分からない。

「オレっちだって好きな子には一途さ、ただその範囲が広いだけ。ねーいなーみちゃん」
崇志からもからかうような目線を投げられて。笑うしかない飛鳥が額から吹き出る汗をポケット
からハンカチを取り出して拭った。
「ダーリン、こんなのとは口利かないほうがいいよ。馬鹿が移っちゃう」
唇を軽く尖らせた彼女に強く引き寄せられた拍子に顔に当たったのは男には無い、柔らかな
感触で。
飛鳥の思考回路崩壊寸前。
「はいはい、どうせオレっちは馬鹿ですよ。伊波ちゃんの前だとコロッと態度が違うんだから」
やいのやいのとやっていると、ウエイトレスが人数分の水とメニューを運んできた。
飛鳥が渡されたメニューを開くか開かないかの内に崇志は「お姉さん、俺らもう決まってるんで
注文いいですかー?」とトレーを小脇に抱えて下がろうとする彼女を呼び止めた。
「はい、いいですよ。どうぞ」
「僕は・・・アイスコーヒー」
「私も同じでそれを」
「あっ、あたしはロイヤルミルクティーのアイス。ダーリンは?」

ま、まだ決めてないのに。

慌ててパラパラとメニューをめくるがどうでもいい軽食等のページを見てしまって更に焦る。
泣きそうな顔でにらめっこをしているとひょいっと崇志に取り上げられ、それはそのままウエイ
トレスの手に渡ってしまった。
「彼は、アイスココア。で、オレっちも同じでね。あと、個人的にはお姉さんの電話番号を希望
したいんだけどなぁ」
「ご注文を繰り返させていただきますね。アイスコーヒーが二つ、ロイヤルミルクティーがお一
つ、アイスココアがお二つ。以上で宜しいですね?」
「おーい、オレっちの注文は?」
「申し訳ありませんがそれは当店では取り扱っておりませんので。ごめんなさいね」
それでは、と言って注文票を片手に彼女が優雅にお辞儀をし、厨房へと向かった。
「な?いっつもこんな感じ。でもそこがまたたまんなく燃えるんだよっ」
ぐっと拳を握り締めて熱く語る彼を冷ややかな視線で受け止める薙と凛。
飛鳥はべったりとくっつく伊織を最早剥がす気力も無く、空いた手で水を一気に飲み干すとは
ぁ、と息をついた。


俺、本当にちゃんとやっていけるんだろうか。

彼らと協力して、新総代の下きちんと義務をまっとうできるだろうか。

事ある毎に彼らと対立しあう執行部の面々をなだめるのは紫上と飛鳥の二人の仕事だが皆
これだけ我が強いとなると自信が無くなるのも至極当然のこと。
姫宮はどうやら俺を好いていてくれるようだけど他の奴等には天照・月詠関係なく罵詈雑言を
浴びせ掛けるし。
飛河はもう他人には全く興味ないって感じだし。
凛もその傾向が強い。
崇志は本当は良い奴なのかも知れないけどかなり自分勝手なところがあるし。
晃情報によると彼は良い言い方でいうと許容量が広い。が、平たく言ってしまえば先程も凛が
言っていた通り「節操ナシ」つまりプレイボーイ。
那須乃も猛烈なアタックを受けているようで最近すこぶる機嫌が悪いのはその所為だ。
若林が常に胃薬を持ち歩くようになったのも恐らくこの事が原因。

「はぁぁ・・・」

口をついて出るのはため息。
疲れ果て、紫上と会うとお互い無言になることも増えた。だが言いたい事は何となくわかって
いる。




「総代・・・」




心細くなると呼んでしまう名前を今この場所でうっかりと漏らした飛鳥は、はっと口をつぐむ。
周囲から刺すような視線を感じる。独り言に近い小さな声だったけれどきっと彼らには聞こえ
てしまったに違いない。
顔を上げられず飛鳥に出来る事は俯くことだけだった。
その時天の助けか(今の飛鳥には女神様とも思えた)ウエイトレスが注文の飲み物を運んで
来るのが見えた。


「お待たせ致しました」


彼女はそういうと静かに、それぞれの飲み物を各個人の目の前に置いていく。
皆は無言でその光景を眺めていた。
彼女が去っても誰一人として口を開こうとはしない。ストローの袋を開けるかさかさ、という音
だけが響く。
飛鳥は気まずい雰囲気を作ってしまった自分を激しく呪った。崇志に勝手に頼まれてしまった
ココア、実はかなり苦手だったのだが少しでも場を取り繕うと上に乗った生クリームをかき混
ぜストローで吸い上げた。
口腔内が甘ったるさと油っぽさで一杯になり、つい彼は顔を顰める。
いつまで続くとも分からない無言の空間を打ち破ったのは意外な人の声だった。


「・・・僕やっぱりそっちがいいな」


一瞬気のせいかと思ったのは薙が自分に向かって手にしていたアイスコーヒーを差し出した
からだ。
「・・・あ、あの・・・」
「キミのと交換してもいい?」
「あれれ?ナギ甘いの好きだったっけ?どっちかっていうと苦手だった気がするけど。欲しいん
ならオレっちの分けてあげようか」
「・・・いや、彼のがいい」
崇志と薙のやり取りを傍観していた伊織と凛が同時にふっと口元を緩めて。
凛はまだ口をつけていないコーヒーをスッと飛鳥の目の前に置いた。
「そのココアは私が貰おう。伊波、私のをやるからお前はこれを飲め」
「あ・・・でも俺もう口つけちゃったし・・・」
「いいから」
やや強引に押し切られる形になったが飛鳥は素直に凛のアイスコーヒーを受け取った。
「・・・美味しい」
「そうか、それは良かった」
今だウエイトレスに流し目を送っている崇志を放っといて、凛がココアに手をつけようとしたその
時。
「凛ちゃんも薙もやーさしいの。あ、凛ちゃんそれ飲むと間接キスよん。もしかして・・・ダーリン
のこと好きになっちゃった?」
伊織がストローで氷をつつきながらからかった。
「なっ!馬鹿な!私は別に・・・伊織、お前と一緒にするな」
「あーやしい」
「どうして京羅樹といいお前といい、すぐそういう方向に話を持っていこうとするんだ」
拗ねた様子で顔を赤く染める彼女。
ついつい釘付けになっていた飛鳥の視線を素早くキャッチした凛は声を荒げた。
「お前も、そんなにマジマジと私を見るな!そのコーヒー飲まないなら返してもらうぞ」
「の、飲みます!すみません」
ストローを弄んでいた手を止めて慌てて琥珀色の液体を喉に流し込み、咳き込む飛鳥の姿を
見て伊織が優しく背中を擦ってあげながら口を開く。
「あたし達はさ、こうやって色々馬鹿やったり態度でも誤解受けちゃう事が多いんだけどそれ
でも受け入れてくれたあの人に対しては皆一目置いてんの。だからさ、それを受け継いだあ
なたの事だって同様に思ってるんだから。色々これからも迷惑掛けるかも知れないけど、出
来る限りの協力はするつもり。だから、ほら。ダーリンもそんなに思い詰めないで」
ポンポン、と叩いてくれた手のひらがとてもあったかかった。
「オレっちもそうだよ、伊波ちゃん。こんな奴だけどさ、役に立ってみせるから。ま、どーんと大
船に乗った気持ちでいてよ」
崇志が「アーユーオーケー?」と人差し指をぐっと飛鳥に突き出しにやりと笑った。
凛もすっと真面目な顔に戻り飛鳥の目をじっと見つめる。
「案ずるな、私たちだって彼らが憎いわけじゃないんだ。今は変な蟠りがあるかも知れないが、
大丈夫。きっと旨くやっていける。私は・・・そう信じてる」
「ありがとう・・・そういってもらえると助かる」
つい涙が出そうになって飛鳥は気づかれないようにさりげなく下を向いた。


「だから、キミはキミのままでいい」


「は?」


仏頂面の薙が空になったグラスをコースターの上に戻し、丁寧に口を拭っている。


「誰に感化されること無く、キミはキミの思うとおりやればいい、と言ったんだ」


誰かに言って貰いたかった言葉。


あの人だったらきっと即答してくれたであろう言葉。


ふっ、と背中が軽くなったような、気がする。


決して押し付けがましくない、彼らなりの自分への励ましが痛く心に染み入り。
飛鳥は嬉しそうな笑みを満面に浮かべ頷いた。




お会計を済ませ、5人が外へ出る。
夕方とはいえ、もう夏。
むっとした熱気が体に纏わりつく。
頭上に広がるキャンバスは、綺麗な茜色。




『飛鳥』




呼ばれたような気がした飛鳥が顔を上げる。
西の空に見える雲の形が、懐かしい人のシルエットに変わったように見えて「あ」と呟いた彼
の体に伊織が飛びついた。
「ね、あれ。あの雲。誰かさんに似てない?」
「・・・あぁ、そっくりだ」




空を見上げる二人の背中を、少し離れたところで崇志・凛・薙が見守っていた。


<補足>

伊織猛アタックしてますが結構総受け風味。

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