駄目




「お願いします」

「嫌だ」

いつもの朗らかな笑顔は何処へやら、口をへの字に曲げた彼が横を向く。同時に無造作に
後頭部に束ねられた髪が、ぶるん、と揺れて。
「あとこれだけじゃないですか。今日中にこの書類を提出しなければならないのは、総代だっ
てご存知の筈でしょう?どうして今日に限ってそんなに駄々をこねるんですか」
「別に、駄々なんてこねていない。子供じゃあるまいし」
「こねてるじゃないですか。嫌だ、嫌だって」
たおらかなる美貌を備え持つ有能な参事はため息を吐き出しながら再び彼の目の前に書類
を突きつける。
「兎に角、これを処理して貰わない事には今日は帰らせませんのでそのおつもりで」
結奈はにっこりと微笑んだ。
しかしその瞳には「四の五の言わずにとっととやれ」という無言の圧力が掛かっている。
「もう嫌だ。いい加減にしてくれよ。最近ずっとこんな調子じゃないか」
綾人は椅子の上で胡坐を掻き、剥れっ面でつっかかる。




結奈は皺を寄せていた眉根を少しだけ緩めた。
言いたい事は大体分かっている。
早い話、綾人は飛鳥に会いたくてたまらないのだ。
本人から飛鳥への気持ちを打ち明けられた時、彼女は少しだけ寂しくもあったがどちらかとい
うと安堵する気持ちの方が強かった。
自分一人では彼の重みを背負いきる事はできなかったから。
そして飛鳥も同じ気持ちだと知った時には、心の底から祝福している自分がいた。


自分じゃ、駄目だったから。


自分では成しえなかった事でも、彼ならきっと、やってくれる。


同じ、いやもしかしたら綾人以上の力を持つ『彼』なら。


しかし、それはあくまで私的なお話。
こういう雑務に関してお尻を引っぱたくのはやはり参事たる自分の役目であるからにして。
「お気持ちは分かりますが、会いに行くのはこの仕事が終わってからにして下さい」
「結・・・」
縋るような眼差しで綾人は訴えるが。
「駄目です」
皆まで言い終わらないうちに彼の言葉は結奈によってぴしゃりと封じられた。
平行線を辿る議論に業を煮やした綾人は、仁王立ちしている彼女に憤然と立ち向かう。
「今日はもう帰る、飛鳥が教室で待ってるんだ」
「駄目だというのが分からないのですか!総代!」
二人の声が、興奮のあまり徐々にトーンアップしてゆく。
やるか、やられるか、とは大袈裟だが、正にそれに近い感じの張り詰めた空気が漂っている。
そんな中、空気の全く読めない男の、のほほんとした声が響き渡った。


「ちーっす!よっ、お二人さん」
「晃」
「御神さん」
そう、声の主は自らを必ず『赤い〜』で称する(しかもその例えは毎回変わる)のが大好きな
御神 晃であった。
「えろう騒いではりましたなぁ、廊下まで丸聞こえでしたわ。何かありましたん?」
近くの椅子に腰を下ろしながら、晃が二人に問いかけた。
「あ?・・・あぁ、大した事じゃないさ」
「総代が飛鳥さんに会いたいと駄々をこねて仕事をしないんですよ」
「おい、結っ!」
綾人の制止むなしく、結奈が晃にすんなりと事情を説明した。
「はぁん」
なるほどね、と顎をなでながら晃が口元に下卑た笑いを浮かべる。
「クールな総代はんも、可愛い可愛い伊波にはメロメロでんな」
「五月蝿いな」
(ここで補足。綾人と飛鳥の関係は執行部員全員が知っている事実である)
「へーへー、ご馳走様です。でもこのままじゃあきませんわな」
「何とかなりませんか?」
結奈がしがみ付くように晃の腕を掴み、見上げると。



どくん、と『純情一直線』の彼の胸が高鳴る。


男、御神 晃。


ここらでいっちょ彼女にいいとこ見せたらな!


「よし、ワイがちょっくらその当人を呼んで来ますわ。せやから総代はん、あんたちゃんと仕事
すんのやで。結奈はん困らしたらあきまへんで」
ビシッ。
人差し指を綾人の顔に突きつけると、晃は執行部室を弾丸よりも早く飛び出していった。
「・・・御神さんって・・・分かりやすい方ですよね・・・」
「お前、彼の事体良く使ってるだろ」
「そんな事はありませんよ(にっこり)」
呆れ果てる綾人に、結奈は悠然と天使のような微笑を返した。




すっかり結奈の手先と化した晃が、きょとんとしている飛鳥を部室に連れて戻って来るまでに
は5分も掛からなかった。最も一緒にいた伽月や若林を引き離すのには苦労もしたが。
「飛鳥・・・」
会いたかった、とばかりに抱きつこうとする綾人の前に結奈が立ちはだかる。
「まだ駄目です」
鬼、と綾人が思わず心の中で呟いた。
飛鳥はまだ状況が飲み込めないといった複雑な表情を浮かべながら、とりあえず側にいる結
奈に声を掛けた。
「・・・あの、これは?俺はあー・・・えっと、総代が今日も仕事で遅くなりそうだったのでもう帰
ろうかと思っていた所なんですけれど・・・」
「飛鳥。俺ももうかえ・・・」
鞄を持とうとする彼を結奈がギロリと睨めつけ、飛鳥に向き直る。
「・・・飛鳥さん。あなたからも何か言って下さい。総代はさっきからあなたに会いたいんだとそ
ればかり繰り返して、仕事をサボろうとしているんですよ」
「えっ?本当なの、あや・・・いえ、本当なんですか、総代」
またしても普段の呼称で呼びそうになる彼が、慌てて言い直す。
「だって、もうこのところろくすっぽ話もしていないじゃないか、俺達」
「伊波、何とかせぇ。今の総代骨抜き状態やぞ。ラブラブなんはええけど、周りに支障をきたす
なや」
晃はそう言うと、飛鳥の髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「わっ、分かったよっ。俺・・・で良かったら手伝いますから。総代、お仕事して下さい」
「お気持ちは大変嬉しいのですが、残念ながら飛鳥さんに手伝っていただけるようなお仕事
では無いんですよ。総代でないと駄目なんです」
「そう・・・なんですか」
結奈にやんわりと断られて、飛鳥がしゅんと項垂れる。
「あ!出来ることあるぜ、飛鳥」
それまでずっと黙りこくっていた綾人が突然口を開いた。
「な・・・何?俺に出来ることって・・・」
綾人が飛鳥を自分の元へと招き寄せ、耳元に口を近づけて何やら囁いた。
「・・・えぇっ!そんな、ここで・・・?駄目だっ!出来ないよ!」
「いいだろ別に。いつもしてる事なんだし。それやってくれたら俺、俄然張り切ってちょいちょい
っと仕事片づけちゃうのにな〜」
「・・・本当に?」
「本当さ」
会話に入っていけない結奈と晃はぽかんと口を開けて二人を見守るだけ。
「じゃ・・・じゃあ」


ちゅっ。


ぎゅっと目を瞑り、両手をグーの形にした飛鳥が、綾人の頬にこわごわキスをした。


ピシリ。


と音がしそうな位に固まったのは当然それを目の当たりにした二人で。
「よし、これで頑張れるぞ。おい、結、書類貸せ。こんなの1時間もありゃ、片づけられる。おい
結・・・結?何だ立ったまま気絶してんのか。器用な奴だな」
綾人が硬直した結奈の手をこじ開けて書類を取り出すと机へ向かう。
一方飛鳥は白目を向いている晃の頬を叩いたり、手を擦ったりして介抱する側に回っていた。
「晃っ、晃っ?・・・もう、綾人のばか。だから駄目だって言ったのに・・・」




ラブラブなのもいいけどいちゃいちゃは程々にね、お二人さん。




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