一席


「あら・・・伊波さんに・・・若林さん・・・どうしました?」

放課後、二人は連れ立って興和苑へと足を運んだ。目的は、紫上結奈の立ててくれる抹茶
である。(飛鳥の場合正しくはお茶というより一緒に出される和菓子が目的なのだが)
「紫上、その姿を見る限り今日はお前が主人か?」
飛鳥が楚々と立つ結奈の着物姿に見蕩れながら目を細めて尋ねる。
「はい。これから一席始める予定だったのですが・・・この日照り続きでどうにも暑くって・・・」
ひらひらと手で仰ぐ結奈が困った様に眉根を寄せた。
「あぁ、確かに地割れが起きていますね。かさかさに乾燥している」
「折角お相伴に預かろうと来たのにこれじゃあお茶どころじゃないか。よし、水撒くぞ、誠」
「あ・・・」
誠が以前結奈が受けた受難を思い出して真っ赤になる。
「何考えてんだ。今日は紫上にはやらせない。なんたってこの格好だからな。俺とお前の二
人でやる。ほら、ホースもってこいよ早く」
「は、はいっ!」
「良いのですか?やってもらっちゃって・・・」
グーにした手を胸に、結奈は上着を脱いで縁側へと置いて腕まくりを始めた飛鳥に心配そうに
声を掛けた。
「気にすんな。美味しいお菓子の為だ」
軽くウインクを返して飛鳥は「おーい」とこちらに向かって走ってくる誠を呼んだ。
「・・・やっぱりそうですか。ふふっ、伊波くんらしい・・・。じゃ、お言葉に甘えてよろしくお願いし
ますね」
「おぅ、任しとけ」
アップにした髪のほつれを直しつつ結奈は元来た道を引き返し、建物の中へと消えていった。
「お待たせしました。長さ・・・足りますかね」
「大丈夫だろう、きっと」
誠がホースの先端を蛇口へ押し込んで、そしてひねる。
ジャパーッと勢いよく先端から水が溢れ出し、飛鳥はそれを乾いた地面へと向けて潤していく。
度々かかる水滴を払いもせず、鼻歌を歌いながら水を撒く彼の姿に誠は頬を染めて見入って
いた。


(・・・綺麗・・・だな。飛鳥さん・・・)


紫上さんには悪いが彼女の透けた肌を見た時よりも数倍、いや数千倍ドキドキする。
袖を捲くったところから見える、太くも無くかといって女性のようにか細くも無い、適度に筋肉
の付いた腕。
抱き締めたら折れそうな細い腰。
柔らかそうなサラサラの薄茶色の髪の毛を少しずつ濡らしてゆく水滴。
自分の方を見て「ん?」と首を傾げて笑う、屈託の無い笑み。
不謹慎な、と首を振ってもやっぱりその姿に釘付けになってしまう自分を誠は止められなかっ
た。
とそこへ、同じく屈託の無い、けれどある意味性質の悪い存在が二人の間に割って入る。
「ぶーん、ぶーん。おーっす、飛鳥ちゃんとマコ」
「おっ、琴音じゃないか。アルも一緒か?」
飛鳥がホースを持っていない方の手で、琴音の頭をわしわしと強く撫でた。
「ううん、今かみかみと一緒に遊んでる」
「そっか。今俺水撒いてるからここにいると濡れちゃうぞ。この後で良いならお前も一緒に紫
上のお茶でもいただくか?」
「えっ、本当?じゃあ琴、それまでゆーちゃんと一緒にいよっかな。中にいるんでしょ?」
「ああ」
琴音が、足を踏み出そうとした瞬間、ずっと黙っていた誠が彼女の腕を掴んだ。
「真田さん」
「ほえ?何マコ」
思い詰めたような声音に琴音がびびる。誠はそのまま「ちょっとこっちへ」と言って彼女をずる
ずると木陰へと連れて行った。
「何だ、アイツ・・・変なの」
足にホースが絡まるのを解きながら飛鳥は遠ざかる二人をしばらく見ていたが、やがてそれ
をぐるぐると回すと今度は口笛を吹き出した。




「・・・やってもらえませんか?」
「何でそんなことすんの?」
「訳は・・・聞かないでくれるとありがたいんですけど」
「えーっ、それじゃ琴全然面白くない。何か『めりっと』がないとやらなーい」
「・・・仕方ありませんね、じゃ、紫陽花の『びっくりフルーツパフェ』で手を打ちませんか?」
「うそぉっ!マコ、あれ奢ってくれるの?じゃあね、琴やるっ」


商談が成立したようだ。
目をキラキラと輝かせた琴音と、口角を不気味に上げた誠が見つめ合い、がっちりと握手した。


「どうした、誠」
怪しいほどにこやかに微笑んだ誠が飛鳥の元へと戻ると、彼はそう問いかけてきた。
「いいえ、大したことじゃありません。それより、あとあっちの方がまだ乾いているようですよ。
さっさと終わらせましょう」
「そうだな」
いつもと微妙に違う彼の様子に飛鳥はこの時気づくべきだったのだが、時既に遅し。
「ぶーん、ぶーん、対象発見!ろっくおん!」
背後で琴音の何やら騒いでいる声がしたのだが、飛鳥は気にする風もなく、しゃぱしゃぱと水
を撒き続ける。
「とつげきっ!ぶーーーーーんっ。えいっ」
ドッシーン!
強い衝撃が背中に走って手に持っていたホースを思わず地面に落とす飛鳥。
と、水の勢いで蛇の様にのた打ち回るシャワーの先が彼へと向かった。
「うわっ!ちょっと!」
もちろん結奈と同じく濡れねずみになったのは『伊波飛鳥』で。
「こーとーねぇー!お前なーっ!」
「にんむかんりょーっ!これにて本部に戻りますっ!じゃマコ、約束だからねー」
琴音は歯を見せて笑うと、結奈のいる建物の中へと走っていった。
「あーあ、びしょびしょですね、飛鳥さん」
暴れまわるホースを止めるべく蛇口を閉めた誠が水も滴るいい男をうっとりと眺めながらゆっ
くりと歩み寄った。
「誠。約束ってなんだ」
「さぁ?僕には何のことだか」
大袈裟に肩を竦めて嘯く彼に飛鳥は心の中で思いっきり「嘘だ」と突っ込みを入れた。
「その格好じゃ、お茶どころではありませんね。ひとまず寮へ帰りましょう」
そう言うと彼はひょいっと飛鳥を抱え上げて、寮へ向かって歩き出す。
「お、おいっ!まさかこれで帰るんじゃないだろうな」
「そのつもりですよ」
しれっと答える誠に飛鳥が足をばたばたさせた。
「こ、こんなの誰かに見られたら・・・っ」
「走っていきますから大丈夫です。それとも長い時間ずぶぬれのその格好を人に見られたい
なら話は別ですが」
「う・・・」
「・・・いい子ですね」
おとなしく自分に体重を預けた飛鳥が可愛くて、誠は満足げに破顔すると彼をぎゅっと強く抱
き締め駆け出した。
いくら飛鳥が割と小柄な方だといってもやはり男性なのでそれなりに体重もあるのだが、それ
を苦ともしない誠を見上げながら飛鳥は「こいつって実は鼎さんより強いかも・・・」と思ってい
た。しかしそれとは別に疑問が浮かんできたので口に出してみる。


「おい」
「何ですか」
「何でお前そんなに嬉しそうなんだ」
「気のせいですよ」
「それじゃ、どうしてそんなに鼻息も荒く興奮しているんだっ」
「・・・気のせいですよ」




もちろん、気のせいなどではなく。
飛鳥は寮の部屋で「着替え手伝います」を言うのを口実に盛りのついた雄犬から濃密な愛の
一席に参加させられたのだった。


Back