「今更だな」
ふん、と鼻を鳴らした彼はゆっくりと俺の方へ近づいてきた。
俺は何も言えずただ下を向く。
「そんな所に突っ立っていないでさっさと帰れ。邪魔なだけだ」
「ご迷惑をお掛けして・・・」
「お前に礼を言われる筋合いは無いが」
至極不愉快そうに、目の前の男は眉を顰める。
こちらだって同じ気持ちだ。だけどそれをぐっと堪える。
「・・・啓太は」
絞り出した声は酷く掠れていた。情けないと思いながらも顔を上げれば気だるげに眼鏡を直す
その様が「はなから相手にしていない」という態度がありありと見えていて、悔しさがこみ上げ
てくる。
「順調に回復している。お前がいなかった所為かな」
歪められる唇。
俯くしかない。形勢は完全に俺が不利だ。
「・・・いつ、退院するんですか」
「そんな事を聞いてどうする。最後の悪あがきでもするつもりか。散々傷つけておいて弁解も
何もしなかった奴の話を啓太は素直に聞いてくれると思うか、え?遠藤」
「・・・・・・」
「諦めろ、お前に勝ち目など無い。もうアイツは俺のだ」
「啓太の気持ちは・・・彼の気持ちはどうなんですか」
震える声で異論を唱えた。一方で彼の放った言葉が早い鼓動を打ち続けている胸に、棘のよ
うに突き刺さる。
確かにそうなってもおかしくはない。寧ろそれが普通なのかも知れない。啓太が俺の元を去り
彼へと気持ちが傾く事は考えられない事ではなかった。
そんな事ははなから承知の上だった。認めたくは無いし、想像したくも無かったけれど。
俺は怖かった。見られたことだけでもショックだったけど、その後彼に合わせる顔が無い位余
裕を完全に失っていた。
だから、逃げた。
彼から、そして他の何からも逃げたんだ。
「気持ち?」
面白いことを言うとばかりに首を竦めて手に持っていた紙袋をとん、と床に置いた彼は。
冷たい足音を響かせて俺の眼前に迫る。
「・・・っ」
ネクタイを強く握り締められ、俺は頭一つ分は高い彼の顔の高さまでぐいと引き寄せられて。
苦しくて思わず眉を顰めると彼は舌なめずりしそうな勢いで笑う。
「真っ直ぐな、ただ一人に向けられていたその気持ちを雑草の如く踏みにじったのは誰だ?
結局お前は自分が都合がいいようにアイツを利用していただけだろう」
「違う!」
「キスしたい時にキスして、抱きたい時に抱いて。自分の言いなりになる奴だったら誰でも良
かったんじゃないのか?」
「違うっ!」
それは違う。
俺は、あの頃からずっと啓太を、啓太だけを見てきたんだ。
誰よりもアイツが大事だから。ずっと守ってやるって・・・そう・・・決めていたんだ。
「・・・泣くほど後悔しているのか」
「・・・あ・・・」
無我夢中で。かけられる疑惑に強く否定を繰り返していた俺は頬を伝う熱い雫に漸くその時
気がついた。
「・・・水曜日だ・・・まだ断定は出来ない」
「?」
「どんなにあがいても、無駄だがな」
遠ざかる足音と、紙が擦れ合う音が耳に響く。
「邪魔だ、退け」
ドアに寄りかかりそうになっていた俺を突き飛ばすようにして、彼は啓太の部屋に消えた。
俺はその拍子によろめき。バランスを失って床に腰を強かに打ちつけてしまう。
「・・・啓太・・・」
痛みも忘れ、虚空を見上げて呟く名前は、静まり返った廊下に空しく消えた。
もう後は無い。
胸の中で燻っていたものが一気に爆発したみたいに。突き上げるような感情が体を駆け巡る。
俺は、突き当たりの窓から差し込む弱々しい光を見据えた。
・・・マモッテヤルカラ。
嬉しそうに頷いた啓太の顔。
『和希』
俺の名前を呼び恥ずかしそうに俯く彼。
表情一つとってもこれ以上無いぐらい愛しい。
ラストチャンス。
今度こそ逃げない。
彼が聞く耳を持ってくれないとしても、最大限の努力はしてみよう。
・・・例え、それで全てが終わってしまうのだと、しても。
[つづく]
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