甘えられる何かが、欲しかったんだ。
教室でも、寮の自分の部屋でも。
目を瞑ると浮かんでくるのは和希の顔だった。見るだけで安心した、彼の笑顔。
あの日俺は言葉に引き摺られるままに中嶋さんの手を取った。誰かに支えてもらわなければ
立って歩く事も困難なほど打ちのめされていたから。そして俺はその晩を中嶋さんの部屋で
明かした。
和希に対する当てつけでは無い。あんな思いのまま一人で寝るのは嫌だったんだ。
けれどあのショッキングな場面はおいそれと忘れられる筈も無く、次の日教室に入る前には
俺は思わず深呼吸をしていた。
(和希・・・来てるかな・・・)
しかしそんな決意は必要なかった。どこを探しても彼の姿は無く、半分は安堵し、半分は不安
な気持ちで俺は一日を過ごした。
それが、一日だけならまだ良かった。
和希は次の日も、また次の日も、教室に現れなかった。
理事長室も一度だけ訪ねてみたが、
秘書らしい人に「外出している」と言われてそれで終わり。
やがて五日が過ぎ、一週間が過ぎ、二週間が過ぎた頃には俺は自分でも分かる位げっそりと
やつれていた。
何でもいい。どんな言い訳でも良かった。ただ、いつもみたいに笑って「馬鹿だな、啓太は」
って笑い飛ばして欲しかった。
でも。
撫でてくれる手も、抱き締めてくれる腕も、優しい言葉を囁いてくれたあの唇も。
今、ここには無い。
「うっ・・・・・・」
胃の辺りがきり、と痛んで俺は咄嗟にトイレに駆け込んだ。
「・・・う・・・うえっ・・・」
食欲も湧かず、時折無理矢理口に入れる麺類でさえ直ぐに吐き出す始末で。尋常じゃない俺を
心配してくれた篠宮さんが作ってくれたお粥も、戻してしまった。
何も受付けないこの体からはもう出てくるものなんてない。
「・・・・・・」
弱い自分に涙が溢れ出す。もう何回泣いただろう。擦りすぎて真っ赤に腫れ上がっている目
尻は冷やしても赤味が消えない程だ。
口の中が苦い。俺は蛇口を捻り口をゆすいだ。水は塩素の臭いがきつく、生温くて気持ちが
悪かったが何もしないよりはましだった。
「啓太」
漸く吐き気も落ち着き、低く通る声に顔を上げて鏡を見るといつも不機嫌そうなその人の姿が
映った。
「また、やったのか」
「・・・はい」
ふう、と中嶋さんは大きく息をつくと大股で俺の方に近づいて来た。そしてまだ水で濡れてい
る俺の手を取ると何も言わずに歩き出す。
「・・・ど・・・どこ・・・行くんですか・・・」
「病院だ。連れて行ってやるから一緒に来い」
「・・・やっ・・・俺・・・だい・・・じょぶ・・・ですからっ」
「どこが大丈夫なんだ。日に日に酷くなっているじゃないか。もう限界なんだよ、お前のそんな
姿を見るのは」
振りほどこうとする俺を中嶋さんは許さない。さっきよりも更に強い力で手首を掴まれ、とうとう
俺は抵抗するのを諦めた。
「どうやったらお前は・・・」
あいつを忘れられるんだ、と搾り出すように言った中嶋さんの言葉がつきん、と胸に刺さる。
「俺・・・」
「だが俺はお前を手放す気などこれっぽっちも無いからな」
前を向いたままの中嶋さんの表情は俺からは見えなかった。だが、手の甲に後が付く位に強
く握る中嶋さんの指は、ほんの僅かだけど小刻みに震えていたんだ。
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病院で診察してもらった結果俺は入院を命じられた。更に他の器官に異常が無いか、検査を
行う為とそれから絶対安静が必要だったからだ。
「急性胃炎」
多分過度のストレスから来るものだと、医者は言った。
検査は二日後。荷物は後で持ってくると言い残し中嶋さんは寮へと戻って行った。
案内された病棟は六人部屋。けれど、その部屋には誰もいなかった。つまり俺だけ。
ベッドの上に上がりぼうっとしながら用意された寝巻きに着替えているとカーテンの外から声
が聞こえた。
「伊藤さん。着替え終わったら点滴しますからね」
看護士さんの妙に明るい声が静まり返った部屋に響く。
「はい」
俺は丁寧に制服を畳むと、それをベッド脇の棚に仕舞った。
再び襲ってきた痛みと吐き気に耐えながらベッドに横になる。真っ白な天井をぼんやりと眺め
ていたら何故だか涙が出てきた。
何で、こんな事になっちゃったんだろう。
俺はこれからどうしたら良いんだろう。
教えてよ、誰か。
縋るように伸ばしたその手を誰でもいい、強く握り返して欲しくて。
一人ぼっちになった今、嗚咽を堪えきれず俺は子供のように泣きじゃくった。
[つづく]
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