一番最初に駆け込んだのは、テニス部主将の成瀬だった。次に中嶋、七条、和希がそれに続く。
しばらくして篠宮が岩井を気遣いながらも早足で入って来ると、保健室のドアを閉めた。
「先生っ!啓太はっ、啓太は何処ですか?」
成瀬が閉まっているカーテンを片っ端から開けて彼の姿を探す。
「おや、こんなに人が来てくれるなんて珍しいこともあるもんだ。彼なら一番奥で寝ているよ」
保険医は机に肩肘をつき、息が上がっている目の前の面々を一瞥し苦笑して言った。
我先にとベッドに駆け寄る彼らの顔は真剣そのものである。特に和希の表情にはもう全くと言って良
い位余裕が無い。
お目当ての『姫』はというときちんと布団をかけて眠っていた。その顔はとても無防備で、幸せそうだ。
成瀬が思わず口を近づけようとすると、和希が慌ててその顔を両手で挟んで押しやった。
「う・・・うん・・・」
啓太が小さく唸りながらごろん、と寝返りを打った。一同は皆固唾を飲んで見守る。しかし願いもむな
しく、彼はまたすやすやと可愛らしい寝息を立て始めた。
安堵と、無念さが入り混じるため息が誰からとも無く漏れた。
「遠藤、海野先生は薬はどの位効くと言っていた」
篠宮が和希にひそひそ声で訊ねる。和希は目の前の彼から視線を反らさずに言った。
「確か・・・3・4時間とか・・・言っていたような・・・」
「何だ、それじゃあ目覚めるのはまだまだ先じゃないか。あー、びっくりした」
成瀬が長い長い息を吐いて天を仰ぐ。
「でもですね、成瀬さん。まだ研究段階の試薬と言ってましたからそれより早く目覚める可能性もあるっ
て事です」
「嘘ッ!そうなの?」
「じゃあ、いつ目が覚めるか分からないのか。やっぱり目を離すわけにはいかんな」
篠宮は眉間に皺を寄せ、岩井が「待っているしかなさそうだな」とぼそりと言うと彼の肩を叩いた。
ふと、さっきから言葉を発さない二人が気になって和希はその姿を探し、そして愕然とする。
七条はいつの間にかちゃっかり啓太の右手をしっかりと握り締めて髪の毛を撫でている。対抗するか
のように中嶋が左手を自分の顔に当て、手の平に口付ける。
「どさくさに紛れて何やってんですか、あなた達っ!」
「伊藤くんがいつ起きるか分かりませんから。こうやって初めて見る顔が僕であるようにと側にいるだ
けなのですが・・・何か問題でも?それより、中嶋副会長。その手を離してもらえませんか。あなたが
触ったところから伊藤くんが汚れていくような気がするんです。ひどく不快なので辞めて下さい」
「ふん、啓太が俺を欲しているんだから仕方が無いだろう。その言葉そのままそっくり返すぞ七条」
目を離した隙に非常に良い位置を取られてしまったと後悔する4人が、それでも諦め切れず椅子を持
ってくるとベッドを取り囲んで両脇に座る。
そのまま誰も、何も言葉を発さず、1時間半が過ぎた。
「もう午後の授業始まってるぞ、行かなくていいのか遠藤」
「そういう篠宮さんこそ、行かれたらいいじゃないですか。俺は授業より啓太の方が心配です」
「俺だって心配だ。寮長として彼の事は責任を持って面倒みなきゃならんからな。止むを得まい、今
日は授業は休む。・・・お前はいいのか卓人。それから成瀬も」
「俺は・・・まだ調子が悪いから・・・ちょうどいい。少し休んでいく」
「ハニーより大事なものなんて僕にはありませんから。授業なんて出てられませんよ」
「七条さんと中嶋さんは・・・あぁ、もう」
二人は張り付いた笑みを浮かべ、互いに啓太の手をしっかりと握り締めながらその目からは激しい火
花を巻き散らしている。
・・・寒い。ブリザードが吹き荒れているようにそこだけ空気が凍り付いている。とてもじゃないが声を
掛けられる様な雰囲気ではない。
和希はぶるっ、と体を震わせると再び啓太の顔を見つめた。何も知らない彼は天使のような微笑みを
浮かべている。半開きになった淡いピンクの唇から漏れる息をすぐにでも塞ぎたい衝動に駆られた。
「ん・・・」
そう思っているのは彼だけではない。一瞬の油断が命取りともいえる緊迫した空気が保健室中を満
たしていた。
その時ガラッと勢いよく扉を開ける音がしたかと思うと、空気の全く読めない男がヅカヅカと入ってき
た。
「おーっす、啓太どうしてる?もう起きたか?」
あっけらかんと笑う男はのっしのっしと大股でベッドに近づくとあっけに取られている6人を尻目に啓太
の顔をぺちん、と軽く叩いた。
「おーい啓太、起きろーっ」
慌てた彼らが次々と声を上げて彼を制する。
「王様っ!」
「丹羽!」
「哲也!」
「会長・・・」
「丹羽会長っ!ハニーに何て事を!」
「・・・・・」
「うっせえなぁ。もうそろそろ起こしてもいいじゃねぇか。ほら、啓太。起きないと襲っちまうぞ」
ギャンギャン五月蝿いギャラリーを一喝しながら丹羽が啓太の頬を軽く撫でた。
「・・・ん・・・うーん・・・ぁ・・・あれ・・・おう・・・さま?」
何てこった。
今までの苦労は一体何だったんだ。とそこにいる誰もが思った。
「おっす啓太。目ぇ覚めたか。気分、悪くねぇか?」
「ん・・・だい・・・じょうぶ・・・です。それより王様・・・どうしてここに・・・?」
「ばっか、お前が心配だからに決まってんだろ。遠藤の話聞いてこっちはびっくりしたんだぜ。変な薬
飲んだとか何とか・・・体どこも何ともないか?」
「・・・はい・・・王様・・・優しいんですね」
「おう。俺はいつでも優しい男なんだぜ」
ガハハハと豪快に笑う丹羽は、肝心の薬の効能の説明についてはちょうど気を失っていたので聞い
ていない。
青ざめた6人が皆息を潜めて二人を見守る。
「・・・俺・・・王様・・・好き・・・すごく・・・好き・・・」
「おっ?何だどうした啓太、目が潤んでるぞ。やっぱ熱あんじゃないのか?」
顔を真っ赤に染める啓太の体を支えながら丹羽の大きな手が彼の額を包む。その手をぐっと掴んだ
啓太が瞳をうるうるさせながら熱い息を吐いて囁いた。
「俺・・・王様のこと・・・好き・・・大好き」
(NOOOOOOOOOO!!!!!)
「うっ!お・・・おい。どうしちまったんだ啓太。お前・・・ほんとに本気で・・・言ってんのか・・・」
丹羽がわたわたと両手を大きく振ってしがみつく啓太を引き離そうとする。
と同時に、四方八方から突き刺さる視線を感じて振り向くと、仮面のような顔や般若のような顔、悲し
そうな顔などそれぞれが皆同じ気持ちで丹羽を見つめていた。
「王様・・・よくも・・・」
「まさかお前が来るとは・・・油断していたな」
「哲っちゃん・・・俺の顔に泥を塗るような真似をしてただで済むと思ってんのか」
「やれやれ・・・『漁夫の利』とは正にこの事ですね」
「ひどい!ハニーの一番は僕だったはずなのにっ!」
「・・・やられたな・・・」
何の事やら訳がわからない丹羽は頭を抱えながら、しかし、目の前の彼を完全に拒むことも出来ずに
「どうすりゃいいんだーっ!」と吼えた。
その晩遅く、ようやく効き目が切れた啓太が本来の恋人の部屋を訪ねるとその部屋の主は柔らかに
微笑んで彼を抱きしめた。
「大丈夫、全然怒ってませんから」
しかし翌日の朝まで啓太が自分の部屋に戻る事は無く、次に起きた時枕元に置かれたメモを見て彼
はやっぱり怒っていたんだなぁ、と実感した。
『啓太くんへ
今日はお疲れでしょうから、1日僕の部屋で休んでいて下さい。
あと、君が一時でも好きだと言った彼には僕からちゃんと制裁を加えておきますから心配しないで。
愛してますよ。僕が好きなのは、君だけです。
君も、もう他の人のことなんて考えないで、僕のことだけ考えて下さい。
(・・・なんて言うのは、わがままなんでしょうか。)
おみやげに君の好きなケーキを買って帰ります。一緒に食べましょう。待っていて下さいね。
臣』
|