途中で岩井が倒れてしまったり、ろくすっぽ人の話を聞かない成瀬が「ハニー」を連発し挙動不審に
なったり、事ある毎に学生会副会長と会計部補佐が冷たい空気を発したりするお陰で、全ての話を
聞き終わるまでには相当時間を要したが、要点だけを述べるとつまりこうだ。
啓太が和希と学食で昼食をとっていたところトノサマに会い、彼を海野に帰してやろうと2人は生物室
へと向かった。
ドアを開けると海野の姿は無く、テーブルの上には可愛らしいピンクの紙に包まれたキャンディらしき
ものが一つだけ乗っかっていた。
和希が目を離した一瞬の隙に、啓太は何の気なしにその飴を口に運んだ。
そして・・・飴を舐め終わる頃には泥のように眠ってしまった、と言う訳である。
「飴じゃなくて、海野の作った薬だったんだな。いかにもあの人のやりそうなこった」
ふん、と肩をいからせて丹羽が吐き棄てるように言った。
「伊藤くんは僕と同じで甘いものが大好きですからね。つい出来心で食べてしまったんでしょう」
「臣。お前が日頃から啓太を甘やかして、毎日のように菓子を出すからだぞ、反省しろ」
「おや、まるで僕だけが悪いような物言いですね、郁。あなただってなんだかんだ言ってそんな伊藤
くんを嬉しそうに眺めているじゃないですか」
「・・・それはっ・・・」
今度は会計部二人が言い争いを始めていた。
そんな彼らを背に、篠宮が和希に「海野先生はその事実を知っているのか?」と問いかける。
「はい。すぐにトノサマが呼びにいってくれて。俺と先生とですぐに啓太を保健室まで運びました。で
も正直パニクっちゃって、誰かに救いを求めたくてつい廊下で叫んじゃったんです・・・すみません」
「そうか、じゃあ伊藤は今保健室にいるんだな」
ほっとしたように岩井が息をつく。常連である彼は仲が良い養護教諭が居るそこなら安心だと思った
からだった。
「で、どうなのさ、遠藤。肝心な結論がまだ出てないじゃないか。ただ眠っているだけならいいけどあ
の先生の薬だろう?ハニーはちゃんと目を覚ますのかい?」
今にも部屋を飛び出して保健室に飛び込みそうな勢いの成瀬が、焦れた様子で詰め寄る。
「それなんですけど・・・」
もどかしげに、和希が右手でわしわし、と頭を掻いた。
「あー、ひどいなぁ成瀬くん。この間のは『僕の』じゃなくて、正しくは『理事長』のだよ。ねっトノサマ」
「ぶにゃーおぅ」
「こんにちは、みんな。遠藤くんのクラスの人にここにいるって聞いたんで来ちゃった」
気が付くと、海野がにこにこと笑いながらトノサマを両手に抱えて立っている。
「げっっっ」
・・・丹羽が泡を吹いて・・・そして倒れた。
手馴れた手つきで中嶋が大きな体を担ぎ上げ、近くの椅子に放り出した。
「もしかしてまた今度もどこかの愚かしい理事長の差し金と言う訳では無いだろうな」
じろり、とレンズ越しの冷たい視線が向けられた彼は「違いますって。今度は俺じゃないですよ」と慌
てて頭を振った。
「先生、経緯は遠藤から聞きました。伊藤が口に入れてしまった薬について説明してください」
眉間に皺を寄せたままの篠宮が海野に向き直り、溜息をつきながら言った。
「うん。薬っていっても見た目と同じで味も飴みたいにしてあるやつでね。多分伊藤くんでなくてもア
レは口に入れちゃってたと思う。紛らわしかったね、今度は気をつけるよ」
「そうですね、ってそうじゃなくて。ハニーはどうなるんですか。いつ目を覚ますんですかっ」
泣きそうな顔で成瀬が彼の肩を強く揺さぶった。
「いたっ、痛いよ成瀬くん。そんなに強くしないで」
「ぶにゃっ!」
ガリッ、とトノサマが爪を立て、成瀬はその手を思わず離す。幸い軽い引っかき傷程度のもので血は
出ていなかった。
「ふぅ、ありがとトノサマ。えっとね、アレは一時的に睡眠状態に入る作用を持った薬なんだ。だから
3・4時間で目が覚めるはずだよ。でも・・・問題はその後だなぁ・・・」
言い澱む彼にサーッと青ざめた和希。
尋常じゃない二人の空気に周りの人間は思わず息を呑む。やがて沈黙を破るように最初に言葉を発
したのは意外にも、岩井だった。
「起きたあとが・・・大変だということか?」
「うん、そう。実は『惚れ薬』の成分も入ってるんだ・・・」
伸びている丹羽を除いた残りのメンバーが絶句した。
「・・・何てことを・・・」
西園寺が、もう聞いていられないと言った様に頭を抱えた。
「目覚めた時、初めに見た存在を愛してしまうということですか・・・確かにかなり厄介ですね」
七条が西園寺を宥めるようにしてパソコンの前の椅子に座らせ、自分も彫りの深いその顔を微妙に
引き攣らせながら苦笑した。
「こうしちゃいられない。僕はハニーの一番乗りにならなくてはっ」
成瀬が踵を返し会計室を出てゆこうとしたのを、中嶋と七条の二人がほぼ同時に手を掴み、部屋の
中へと引き戻す。
「やめておけ。お前が行っても啓太は喜ばん」
「抜け駆けは許しませんよ」
言葉を発する瞬間まで一緒だった彼らの間に、青い火花が散った。
「お前もどうやら成瀬と似たような事を考えていたようだな、七条。宛ら王子様気取りか?はっ、全く
おめでたい奴だ」
「言われる義理はありませんね。そういうあなたが一番伊藤くんの傍に行きたがっているのではない
いですか?さっきからそわそわしているじゃありませんか」
「ふん、俺がアイツの傍に行きたいんじゃない。アイツが俺を欲しているのが分かるから行く。ただ、そ
れだけだ」
言い方はそれぞれ違うものの、どうやら考えていることは皆同じのようで。
篠宮、岩井、和希はと言うと、静かに互いの顔を見合わせ、牽制し合っている。
ただ、丹羽だけが未だ意識を手放したまま伸びていた。
・・・よーい、スタート。
見えるはずの無い旗が眼前で振られたような気がして、彼らは一斉に会計室を飛び出した。
「あーあ、行っちゃった。もうお昼休み終わりなのに。あ、西園寺くん。君は行かないの?」
ずっと腕に抱いていたトノサマを床に下ろすと、海野が冷めた紅茶を顔を顰めて飲んでいる目の前
の彼に視線を止め、質問を投げる。すると西園寺が小さく息を吐き出し、呟くように言った。
「私はいい。何だか話を聞いていただけで疲れてしまった。とりあえず啓太が目を覚ますというのを
聞いて安心したから後のことは彼らに任せることにしよう。ところで先生、その『惚れ薬』の効果とい
うのはどの位持続するものなんです?」
トノサマが、開いたままのドアを悠々としっぽを立たせながら通り抜け、廊下へ出て行く。
「そうだねぇ、長くて一日ぐらいかな。さてと、僕は研究書類を探していた途中だったから部屋に戻る
よ。またね、西園寺くん」
海野はトノサマの後を追うように部屋を後にした。
やっと訪れた静寂の中残されたのは、王様と女王様の二人。
中々目を覚まさない彼の顔を見ていた西園寺にふと、意地悪な笑みが浮かんだ。
「こんなところにいつまでもいられては困るからな。ショックには、ショックを、だ」
すぅーーーーーーっ。
大きく息を吸った次の瞬間。
「にゃあーん」
岩のように固く閉ざされていた丹羽の瞼がくわっと開き、条件反射の様に体を起こすと、一目散に外
へと駆け出していった。
[つづく]
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