おみやげ




そろそろ寝る準備でもするか、と七条は読みかけの本を手に持って椅子から立ち上がった。
・・・そういえば今日は来なかったな。
『七条さんっ』
少し鼻にかかった、甘えた風な声が1日聴けなかったというだけでこんなに気持ちが揺らぐな
んて一体どうしたものか。
「今はもう夢の中、ですかね。明日は・・・会いに来てくれるでしょうか・・・」
期待と希望とを織り交ぜながらそんな言葉を口にすると、益々会いたさが募ってどうしようも無
くなって。
ベッドに腰を掛け、カーテンを閉め忘れた窓の外をふっと見やる。そこには月も星も見えない、
深い藍色の絵の具をぶちまけたような暗い空が広がっていた。
ナーバスになる前に今日はさっさと寝てしまおうか。一度は枕元に置いた本を机の上に戻した
その時だ。
コンコン。
時間帯からして有り得ないその音に、思わず七条は耳の穴を指で掻き再びドアの外に神経を
集中した。
返って来るのは静寂。
・・・鍵は閉めたかな。
ふとそんな疑問が浮かび、念の為に施錠確認をしようとドアへと向かうと再び聞こえてきたの
は今度こそ空耳では無い、大きめのノックの音。
「誰ですか」
恐らく郁では無いだろう。彼は夜更けに誰かの部屋を訊ねるなんて行為は絶対にしない。
だとすると。
「俺です。伊藤です」
「啓太くん?」
今しがたまで想い描いていた存在が自分の所に訪れてきてくれるだなんて想像もしていなか
っただけに驚きを隠せない七条が、彼を呼ぶ声は少し上擦っていた。
今開けますとロックを外す指も心なしか熱を持っている。
重々しい音を立てて開いた扉の向こうには真っ赤な顔をした啓太が、にこにこして立っていた。
「どうしました、こんな遅くに」
「・・・あー、七条さん。こんばんはぁ」
ぺこんと頭を下げるとふらぁ、と壁に激突しそうな勢いで倒れる体を慌てて支える七条の顔に
アルコール臭の強い熱い息が容赦なく吐きかけられ、思わず彼は顔を顰める。
「何か飲んだんですか?」
「んー?あーそういえば、なんか」
ひっく、としゃっくりを一つして啓太は一生懸命何かを思い出そうと頭を振った。
「和希が海外出張から帰ってきておみやげくれるって言うから、放課後理事長室に行って」
ひっく。
とりあえず立っているのもやっとな啓太を中へと案内し。ベッドに腰掛けさせて、自分もその隣
に座る。
「それで?何を貰ったんですか?」
ひざの上に置かれた左手をそっと握れば、それはじんわりと汗ばんでいて。
「うんと、あの」
「はい」
「まろんぐらっせ、です」
ずっと手に持っていたらしい小箱をはいと渡されて開けてみると多分6個入りだったと思われ
るその中にあったのは小さな包みがたった1つだけ。
「もしかして5つは啓太くんが食べちゃったんですか?」
口調は決して責めている訳ではなかったのだが咎められていると勘違いした啓太は瞳にうっ
すらと涙を滲ませた。
「ごめんなさいっ!すみません・・・俺・・・七条さんと半分こしようって思って最初味見のつもり
で1つだけだけ食べたらすっごく美味しくって・・・とまんなくなっちゃって・・・それで・・・っ」
「ああ、泣かないで。そんなつもりで言ったんじゃありませんよ」
ね、泣き止んで下さいとぺろりと目尻を舐め上げるとびくりと体が震え。それに気を良くした七
条は啓太の額にこつん、と自分のそれを合わせて至近距離から彼を見つめた。
「でも光栄ですね。だってそれは啓太くんに、と理事長が買ってきてくれたものなんでしょう?
それを僕と一緒に食べたいって思ってくれたことがとても嬉しいです」
「ほ・・・んとに?」
「本当です」
「ほんとに、ほんと?」
「本当に、本当です」
良かった、と胸を撫で下ろし満足そうに笑う啓太の顔に見蕩れながら七条はもう1つの質問を
彼にぶつける。
「啓太くん。君がお酒に弱い事はこの間会計部室で出したブランデーケーキで分かっています
が今回これだけ酔いが回ってるのはマロングラッセの所為だけじゃないでしょう。何か他に理
事長から貰いましたね」
「うー、ううーん・・・何だっけなぁ・・・」
酒は記憶力も低下させる。啓太は首をやたらと捻りううーん、ううーん、と唸るばかり。
「僕が当てて見せましょうか・・・ちょっと失礼。はぁーってしてみてくれますか」
「んー、はい。はぁーっ」
「・・・分かりました。ワインを飲まされたんですね?」
「んーと・・・あぁ、はいっ。そうです。わいん、です」
ひっく。
頷いた拍子に派手なしゃっくりが出てしまい、それが可笑しくてたまらないのか啓太はくすくす
と声を立てて笑った。
「何本ぐらいですか」
「最初は断ったんだけど・・・何だか滅多に手に入らないものだからって聞いて飲んでみたくな
っちゃって・・・気がついたら1本開けてた、かも」
「1人で?そんなに飲んだんですか?!」
「はぃ・・・」
道理でヘロヘロな筈だ。ワイン1本にマロングラッセ5個。ほんの少しの酒が入ったケーキだけ
でもいい感じになってしまう彼が何倍量の酒を摂取してよくもまあ無事に帰って来れたものだ
と思った。
「理事長からは何もされませんでしたか?」
あの人の性格だ、啓太が酒に弱いことは当然知っている筈。下心が全く無いなんて有り得な
い。きっとべろんべろんに酔わせてどうこうしようと企んでいたに違いなかった。
「なにか・・・って・・・?」
「つまりこういう事、とかですよ」
目の前の緩く開かれた唇をなぞるように指を這わせる。
「ん・・・」と悩ましげな声が漏れるのを確認すると、七条は満足そうに目を細め形の良い唇を
ゆっくりと近づけていった。
「っ!」
はじめは触れるだけの。そして啄む様に繰り返されていたキスはやがて湿った音と共に激しく
なってゆく。
舌を絡ませられ歯列をつつっと撫でられると啓太は「んんっ」と背中を仰け反らし、宙で空回り
していた両の手を七条の背中に回し、しっかとしがみついた。
そうして漸く体を解放されるととろんとした目を潤ませうわ言のように「七条さん・・・好き」と呟く。
自身の乱れた髪を撫でつけながら右手は彼の肩に置いたまま七条は静かに微笑んだ。
「すみません・・・君があまりにも無防備で・・・僕以外の誰かにそんな姿を見せていたのかと
思うと・・・ふふ、我ながら可笑しいですね。嫉妬してしまいました」
「しっと?七条さんが?」
「はい、嫉妬です」
深く頷く七条の顔をしげしげと見つめる啓太の顔は驚きに満ちている。
「そ・・・んな。だって和希は友達ですよ。アイツがこんな・・・キス・・・なんてする訳無いじゃな
いですか」
「・・・本気でそう思っているんですか?」
「はい・・・どうしてですか?」
「君は・・・いえ、何でもありません。まぁでもそこが可愛いところでもあるんですがね」
「?」
もうちょっと危機感を感じて欲しいものですね。これ以上君の事でやきもきしていたら仕事にも
身が入らなくなりそうですよ。
決して表には出すまいと決めているドロドロな感情は心の奥底に秘めて。
まだきょとんとしている目の前の啓太の頭をそっと撫で、七条はゆっくりと彼をベッドに押し倒
す。
「あの・・・しち・・・じょ・・・うさん?」
「はい」
「何で・・・服・・・あの・・・俺・・・」
シュルっと乾いた音を立てて啓太の腕からシャツを剥ぎ取ると忽ちピンク色に染まった、艶か
しい体が現れる。ごくんと生唾を飲み込む七条にはもう余裕という文字は一欠片も残ってはい
ない。
「これからは不用意に誰かに狙われないように」
「へっ?」
ちゅっと音を立てて首筋を吸い上げる。
「ひゃあっ」
「僕のものだという証を」
つけておかなくてはなりませんね。
最後の言葉は啓太の一際高い艶声によってかき消された。


次の日目覚めた啓太が頭痛と戦いながら自分の部屋にいることを確認しほっと胸を撫で下ろ
し着替えを始めたその時のこと。
学生バージョンの和希が爽やかに入ってくるなり開口一番ごめん、と謝ってきた。
「おはよう、啓太。ごめんな昨日飲ませすぎちゃって。理事長室でやっぱ休んで行けばよかっ
たのにフラフラで部屋を出て行っちゃったから心配してたんだぞ。どうだ、あの後ちゃんと一人
で帰れたか?」
「うー」
思い出そうとしても啓太には昨夜の記憶が無い。だけど何かすごい夢を見ていたような・・・
そんな気はする。
「多分」
そして下着代わりにきていたTシャツを脱いだ瞬間。その体を見た和希が悲鳴を上げた。
「けっ!啓太!お前・・・それっ・・・」
「え?何?・・・・うわぁっっ」
お臍回りを中心に、胸、首筋、わき腹、背中、至る所に無数に刻まれたそれは。
「啓太。お前昨日誰の部屋に行った」
低く唸る和希を横目でチラ見しながら体中の血が全て抜けてゆく感覚に啓太が陥る。
アレは、夢じゃなかった。
「誰だこんなことしたのっ」
・・・ああ不覚。なんたる失態。酔っ払っている姿を七条さんにさらしてしまっていただなんて。
(いや、啓太。反省するのはそこだけではないはずだ)
何も言えずただ顔を赤く染めるだけの啓太にふぬぬぬとグレーのオーラを高まらせ和希は耐
え切れんとばかりに怒鳴り声を上げた。
「ちくしょうっ!今日はもう理事長室でふて寝してやるぅっ!」
言いたい事だけ言って去って行った開け放しのドアを見つめながら啓太は今日はちゃんと会
計部に顔を出そうと固く心に誓っていた。
でなければ。

『嫉妬です』

自分も焼きもち焼きの方だと思っていたけれどそれ以上だと思われる彼はどんな行動に出る
か分からない。
嬉しさと恐怖。
複雑な思いを抱えながらネクタイを締めようと鏡を見ると。
一瞬誇らしげな七条の顔が浮かび、そしてそれはすぐに消えた。

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