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昼下がりである。
「美味しいですね、七条さん」
「そうですね、伊藤くん」
ああ、平和な日々の何て有難い事か。
全ての元凶が取り除かれた今の啓太の心中はまるで波一つないような静かな海のように穏
やかだ。
すっかり背中の痛みも消えた七条とこうして向かい合って、学園の食堂でデザートのプリンを
頬張る。
啓太を見つめて微笑む七条の瞳もいつもと変わらず優しい。
天気も良くて、相変わらず食堂のご飯も美味しくて。そして何よりこうして恋人が自分の前で
笑っている。
これが幸せでなくて何と言うのか。
啓太が最後の一口をスプーンですくい上げたその時だった。
「実はね」
お得意のナイショですよポーズをしてみせてからさらりと言われた言葉に、啓太は一瞬受け流
しそうになるが。
もう一度頭の中で反芻してみて、余りの驚きにプリンを味わうことなくごくんと飲み込んだ。
「し・・・七条さん・・・今、なんて?」
「ええ、ですから」
あの指輪、今実は僕が持ってるんです。
「えええええっ?!」
思わず上げた声は甲高く。
ピークは過ぎてはいたものの、それでもまばらに食堂にいた生徒達が一斉に彼らを振り返る。
「しぃっ・・・声が大きいですよ」
七条は腰を上げて啓太の口を右手で覆った。
「んーっんんーっ!」
(何でっ!何でだよ、七条さんっ!)
もがもがとばたつく啓太とそれを押さえつける七条。そんな二人の側に一つの影が近づいた。
「どうした・・・騒がしいな」
啓太の横の椅子をひき、そこにトレーを置いた西園寺は眉を顰めて七条を諌める。
「お前また何か啓太に変な事でも言ったのか、臣」
「おや郁。珍しい事もあるもんですね、あなたが食堂に来るなんて・・・でも、相変わらず食が
細いようだ。もう少し食べないと体力がつきませんよ」
「話をはぐらかすな」
漸く手を離された啓太がぜいぜいと肩で息をしている中、七条はふふと小さく笑った。
「指輪の話をね、していたんですよ」
「ああ・・・あれか」
既に話は聞いていると西園寺は頷く。啓太はてっきり西園寺は七条に「そんな物は捨てろ」と
言ってくれるとばかり思っていたのに。何も無かったようにもくもくとクロワッサンを千切っては
一口ずつ口に運ぶその様を、あんぐりと口を開けて見ていた。
「あの・・・西園寺さんは知ってますよね」
「何だ」
「あの指輪は・・・不運の指輪なんですよ?」
「そういう事だったな」
だからどうしたと言わんばかりの西園寺。ニコニコと微笑んでいる七条。
啓太は我慢がならず、七条に噛み付いた。
「俺が・・・俺がどんな目にあったか、七条さんは見ていたはずでしょう?!何でそんな嫌な目
に合うって分かってて拾ったりなんかしたんですかっ」
「はい・・・勿論知ってますよ。でもね・・・君も分かっているでしょうがああいうアイテムには興
味があるもんで・・・もうちょっと調べて見たいと思いましてね」
「そういうことだ、仕方ないだろう、臣はこういう男なのだから。啓太も諦めろ」
「嫌ですっ!今すぐ捨てて下さいっ!」
「・・・困りましたね」
スープを飲み終え、スプーンをかちゃりとトレーに載せた西園寺はやれやれと首を竦めた。
「後で会計室に来てくれ、臣・・・啓太の機嫌が直ってからでいい」
「はい、分かりました」
自分を差し置いて目の前で交わされる通常の遣り取りに、啓太の怒りのボルテージは一気に
最高潮に達した。
「・・・七条さんのバカっ!俺、もう知りませんからねっ!」
がたんと勢いよく立ち上がった拍子にグラスに入った水が派手にテーブルの上に零れたけれど。
伊藤くん、と呼びかける彼の制止を振り切って、啓太は食堂を後にした。
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「あーあ・・・」
また喧嘩しちゃった。
中庭のベンチに一人腰掛けて、啓太はほうっと溜息をつく。
顎を上げて植え込みをぼんやりと見つめる。俯くと、涙が出てきそうだった。
「七条さんのばか・・・」
残してきた七条のことを思い出し、更に大きな溜息が零れた。
・・・分かってくれたと思ってたのに。
「君を残して先に死んだりしません」
そう言ってくれたのに。
俺の思いは届いて無かったって事?
あんなの持っていたって仕方が無いのに。
「・・・・・・」
(駄目だ、泣きそう)
天を仰いだ啓太。そうして彼はさっきまで太陽が覗いていた空がいつの間にか暗くなっている
事に気がついた。
ぽつ・・・
一粒の水滴が顔を濡らす。
ぽつ・・・ぽつ・・・
「やばい、降ってくるっ」
すぐさまベンチを立ち去る。校舎に駆け込んで廊下でジャケットについた僅かな水滴を払って
いると、こつ、こつ、と聞きなれた靴音が背後から響いた。
「ここに、いたんですね」
誰だかなんて確かめないでも分かっていたから。振り向かず啓太は両手をぐっと握り締めた。
「・・・探しましたよ」
「・・・俺」
「・・・・・・」
「俺っ、怒ってるんですからねっ!今度という今度は本気で怒って・・・」
だが全ての言葉を言い終わらないまま。気づけば、啓太の体は抱き締められていた。
ジャケットの背中越しに感じる体温に自然と涙が溢れそうになるのを、啓太は懸命に堪える。
「ごめんなさい」
「七条さん・・・」
振り解くことなど、出来る訳がなかった。
「ごめんなさい、伊藤くん」
「・・・・・・」
「・・・確かに指輪自体に未練があったのは事実です。僕はあれに対する興味を棄て切れなか
った。何と言ってもあのカワライの本物でしたから。伊藤くんが窓から放り投げるのを見た時、
僕は呟いたでしょう、勿体無いって」
「あんなの・・・あんなの持ってたって良いことなんて何も無いのに・・・」
「ええ・・・そうですね」
腕の中で身じろぎする啓太に、七条は「振り返らないで」と耳元で囁いた。
「けれど、やっぱり君を怒らせる結果になってしまった。あの指輪は指に嵌っていてもいなくて
も効力があるようだ」
「七条さん・・・」
「だからやっぱり捨てる事にします。本当は僕に何かあったら君が心配してくれるだろうと。
そうしたら僕の事だけ考えてくれるだろうってそんな事も考えていたりしたのですけれど」
「そんなの・・・俺嫌だって言ったじゃないですか。そんな事をしなくても俺はいつもいつでも
七条さんの事ばかり考えているんですよ?」
包み込む手に力がこもる。啓太はそれにそっと自分の手を重ねた。
「すみませんでした・・・僕は、まだまだ未熟ですね」
「・・・好きです」
突然の啓太からの言葉に一瞬七条の手が緩んだ。
その隙にくるりと彼に向き直った啓太は、驚いている彼の顔を覗き込む。
「俺、七条さんが好きです。誰よりも、あなたの事が大好き。七条さんが安心出来るんなら何
度でも言いますよ、俺」
「伊藤くん」
余裕綽々な様でいて、そのくせたまにこんなに子供のように不器用な所もあって。
でも。
だからこそ、俺はこの人を好きになったのかも知れない。
「・・・七条さん?」
「ありがとう」
ふわりと七条は微笑んだ。
「僕は君に嫌われたくないから・・・だから、許してくれてとても嬉しい」
「七条さん、俺・・・」
「そうですね、君に嫌われることこそが僕にとっては一番の不幸です。このまま持っていても
良い事はありませんよね」
良かった・・・本当に良かった、と。
肩を抱かれて歩き出した啓太が胸を撫で下ろし廊下の窓から外を見ると、まるで先程の雨は
嘘だったかの様に止んでいて。
(あの雨やっぱり・・・指輪のせいだったのかな)
首を傾げる啓太の顔に誰にも気づかれる事無く口付けを落とした七条は瞳に甘やかな光を湛
えて低く囁いた。
「さっきの言葉・・・出来れば僕はベッドの中で聞きたいのですが」
「へっ?」
「ふふっ・・・さぁ、午後の授業が始まってしまいます。教室まで送りますよ」
耳を押さえてばばっと彼から離れた啓太は、いつもの彼に戻っていることを確認した後。
もうっ、と真っ赤になって唇を尖らせた。
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