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「あの、」
その声と共に肩を叩かれた七条臣はゆっくりと振り返った。
「どうしたんですか、伊藤くん」
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先刻から画面とにらめっこの七条にどう声を掛けていいものか悩んでいた啓太は、返された
笑みにほっと安堵の溜息を漏らすと後ろ手に持っていた物を遠慮がちに取り出し、見せる。
「こんな本を見つけたんですけど・・・」
見れば彼の両手には古ぼけた本が一冊。年代的に古いもののようで、表紙の字も掠れかけ
ているのではっきりとは読めないが、日本語でない事は確かだ。
七条は懐かしそうに目を細めると、軽く頷いて啓太からその本を受け取った。
「まだあったんですね。てっきりもう無くしてしまったのかと思っていました」
「まだ・・・?」
不思議そうに首を傾げる啓太が何の本なんですかと尋ねると彼は笑ってこう答えた。
「父が初めて僕にくれたプレゼントなんですよ」と。
「七条さんのお父さん・・・」
七条は父がフランス人、母が日本人という、いわゆるハーフだ。幼少の頃は容姿の所為で随
分からかわれたのだと啓太は聞いている。そうしてそういった事が嫌で彼は自ら他人を遠ざけ
ていったのだと。
「あの人は色々な女性の間を転々としていますからね。父親というよりたまに遊びに来てくれる
『叔父』みたいな感じでした。その父が僕の三歳の誕生日の時にくれたのがこれなんです。何
でも父が幼い頃祖父から貰った本なのだとか。結構面白い内容だったので気に入ってしまいま
して、物心つくまでは肌身離さず、それこそ寝る時も枕元に置いて寝ていたぐらいですよ」
「へぇ・・・」
七条は破れないかと注意しながらぱらぱらと紙を捲っていく。やがてとあるページを見つけると
それはもう飛び切り嬉しそうな笑みを顔一面に受かべたのだった。
啓太はその変化にびっくりしつつ「どうしたんですか」と尋ねると彼は笑って首を振る。
「いえね」
「この本にはもう一つ思い出があるんですよ」
「思い出?」
「はい。もしお時間が宜しければ聞いていきますか?」
「あ、はいっ。俺なら喜んで」
では。
啓太に一人掛け用のチェアを進めて、自分はベッドへと腰を下ろし。七条はニコニコと昔話を
始めていった。
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あれは・・・そうですね、丁度六歳に上がったばかりの頃だったでしょうか。
その頃はまだアメリカに住んでいまして。でもある時母親に連れられて日本に来ていた僕は
彼女の友人だという人の家に遊びに行きましてね。
はじめにジュースとお菓子を出されたっきり、二人はぺちゃくちゃと昔話に花を咲かせて子供
の僕の事などお構いなしの様子だったので、つまらなさから僕はそこをそっと抜け出して外に
出ました。とはいえ、初めて来た土地なので勝手も分からずただひたすら歩いているとやがて
公園らしき場所にたどり着いたんです。僕はふらふらと吸い寄せられるように入りました。
そこには中央に大きな象の滑り台がありました。その他ブランコや鉄棒、シーソーや、あと・・・
あれは何て言うんでしたっけ・・・腕でぶら下がって渡る・・・ああ、そうです。「うんてい」なん
てのもありましたね。
大勢の子供が遊んでいて、それを少し離れたベンチで母親が見守っている・・・そんな光景を
少しばかり羨ましいと思いつつ。僕は鉄棒脇にあった、子供用の二人掛けの木の椅子に腰を
下ろし、持っていた本を読み始めました。ええ、もちろん父親にもらったこの本です。
友達、なんて呼べる存在はその頃の自分にはありませんでしたからね、本が友達みたいな
ものだったんです。
父がくれたのは、いわゆる火星や土星などといった惑星の写真集でした。とはいっても当時六
歳だった僕が持ち歩けるぐらいのものですからね、そんなに本格的なものではなかったんです
が。
けれど、その美しさに僕はどうしようもなく惹かれてしまって。それを見ながら色んなことを想像
したものでした。
その日も一番お気に入りの「地球」の写真をぼんやりと見つめて一人、妄想に耽っていたの
です。
「きれいだなぁ・・・」
その時でした。
「ねぇ、なにみてるの?」
突然背後から響いた声に僕はびっくりして振り向きました。
見ると、一人の男の子がにこにこと笑って立っています。僕が黙っているとその男の子は大き
な瞳をくりくりと動かしてもう一度尋ねました。
「ねぇ、そのほんなあに?」
僕はその言葉に咄嗟に手に持っていた本をぱたんと閉じました。正直言って係わりあいたくな
いと思ったからです。
「ねぇ」
「・・・・・・」
「・・・そのほん」
「うるさいな」
思わず声を荒げると、その子はびくん、と体を震わせました。
それを見て僕はああ、やっぱりって思いました。
どうせ、この子も僕のこの容姿を見て物珍しさに声を掛けてきたに違いない。
怯える人はまだいい。友達になろうと言ってくる奴なんてのは自分という珍しい存在が知り合
いにいるという事を見せびらかしたいだけだ。
誰も僕の中身なんてみてくれないんだ。
だったら友達なんて要らない。
そう思っていたから、その子も同じだと思ったんですね。
けれど、彼は僕の予想を見事に裏切ってくれました。しょぼんと項垂れた後とぼとぼと去って
いく背中を見送っていた僕がそろそろ帰ろうかと椅子から下りた瞬間。
くるりと体を半回転させて彼は再び僕の方へと駆けて来るではありませんか。
「あのね、ぼく・・・へんなこといっちゃったんだったらあやまる。ごめんなさい」
「え・・・」
「でもね、なんだかとってもたのしそうにそのほんみてたからきになって」
「これ・・・?」
「うん」
僕が手元の本を指差すと男の子はこっくりと頷きました。
「ぼくもみたいな、って・・・だめ、かな?」
「・・・べつに」
「いいの?」
「そんなに・・・みたいのなら」
不思議ですね。
多分同じことを他の子から言われたらきっと僕は拒絶していたに違いないのに、その時は何
故かあっさりとOKしてしまいました。
彼と僕は並んで再び椅子に腰掛け、本を最初から見ることにしました。
ページを捲る度に男の子の口からは感嘆の溜息が漏れます。それを聞いて僕は自分がその
本を作った訳ではないのに、何だか誇らしい気分にもなりました。
そうして、僕が一番お気に入りの地球の写真まで差し掛かった時。
「わぁ・・・」
男の子はビー玉のように真ん丸い瞳を更に大きく見開くと、写真を見つめて言いました。
「すっごくきれいだね・・・」
「これはね、ぼくたちの住んでいるちきゅう、というところだよ」
「この青いまるいのが?」
「そうだよ。きみもぼくもここにいるんだ」
「へぇ・・・」
しばらく魅入られたようにパラパラとページを捲っていた彼は、一番最後のページまで来ると
ぱたん、と閉じて僕に渡しました。
「ありがとう、読ませてくれて。それさ、きみのたからもの?」
「たからもの・・・ってほどではないけど・・・だいじな、ものかな」
「そっか・・・ありがとう。だいじなもの、みせてくれて。すっごくおもしろかった」
「うん・・・ぼくも、」
楽しかった。
そういうと男の子の顔がぱぁっと明るくなりました。それはそれはとても嬉しそうに笑うんです。
僕まで何だか嬉しくなってきてしまって胸がどきどきしていたのを今でも覚えています。
その後僕らは取り留めのない話をしました。互いの好きな動物の話とか、好きな食べ物の話
とか。だけど彼の口からは僕の容姿について触れられることはありませんでした。
今になって思えば彼なりの心配りで敢えて避けていたのかも知れませんが、気づけば僕は
自分から自分の生い立ちについて話してしまっていました。
「はーふ、っていうんだ」
「そうだよ。だからかみの毛も、めの色も、ひふの色も。きみとはちがっているんだ」
「ちがわないよ」
その子は言いました。
「おなじ『ひと』だもん」
途端、胸がすっと軽くなった気がしました。
重いものを抱えてた背中の荷物が解けた、そんな感じがしたんです。
僕は待ってたんだ。
ずっとそうやって言ってくれる「誰か」を。
「ねぇ・・・」
今なら言える。
「ぼくと・・・」
すると男の子が何かに気がついたように通りの方に向かって手を振り始めました。
「おかあさーん」
方向に沿って視線をずらすと若い女性が駆け寄ってくるのが見えました。おそらく彼の母親
なのでしょう。
男の子は僕の方を振り向いてごめんね、と謝りました。
「おかあさんがむかえにきたから・・・ぼく、もういくね」
「あ・・・う、うん」
「じゃあね」
僕は咄嗟に彼の手を掴みました。どうしても聞いておきたいことがあったんです。
「・・・なに?」
「なまえ・・・きみのなまえ聞いてもいいかな」
「ぼく?」
「ぼくはね・・・」
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「・・・という事があったんです」
「じゃあ結局七条さんはその子に友達になろうって言えなかったんですね・・・残念」
「でもその子は言ったんですよ、最後に。きっと僕らはもう一度会えると。そうしてそれはつい
最近実現したんです」
「本当ですかっ!」
「ええ」
七条は深く、頷いた。
そう。
なぜなら、その子こそ。
―――ぼくは、いとうけいたっていうんだよ。
友達というよりもね・・・多分あの時沸いた感情は。
君はきっと僕の・・・「初恋」の人だったんです。
大事な、大事な宝物の本を嬉しそうに眺める啓太に気づかれないようにそっと呟くと。
彼は優しくその頬にキスをした。
きっと今の自分達に合うのは、甘酸っぱいローズヒップティーかな。
そんな事を胸の内で考えながら。
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