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やっぱり自分の性格は損なのかも、と思った。
喜ぶ顔が見たくって、頼まれると嫌とは言えない自分の性格を体力と前向きさが売り(?)の
啓太が流石に呪ってしまうほど、近頃の忙しさといったらなかった。
学生会や会計部のお手伝いはもう日常となっていたが俊介のデリバリーや海野先生の書類
整理のお手伝い(アーンドトノサマの相手)、岩井さんの見張り(依頼人は当然篠宮さん)、夜
は篠宮さんについて寮の見回り。
どんどん雪だるま式に積み上がってゆくこれらを啓太は毎日せっせとこなしていたのだ。
ここ一週間ずうっと。
「あーあ。やっぱり弱いのかな、俺」
何度か断ろうとしたこともある。
しかしその度に目にする悲しそうな顔を見たくなくて、ついついOKしてしまうのだ。
「よっこらしょ、っと」
啓太が勢いをつけて寝転んでいたベンチから体を起こし、そして立ち上がる。
今日残っているのは会計部と学生会の二つだ。(篠宮さんが今日はいいと言ってくれたので)
どちらを優先しようかと彼が悩いあぐねていると、背後から声を掛けられた。
「そこにいるのは・・・伊藤くんですか?」
振り返ると。
いや、振り返らなくても誰だか分かるその柔らかな口調は。
「こ、こんにちは、七条さんっ」
ぺこん。
啓太が姿勢を正すと、深くお辞儀をした。
「こんにちは、伊藤くん。あ、いや、もう『こんにちは』という時間ではないのかも知れませんが」
確かにもう日は沈みかけている。
「今日はうちにはお手伝いに来てくれないのですか?郁が『啓太はまだか』とやきもきしていま
した。ふふ、あんな風に余裕の無い彼はちょっと珍しいんですよ」
思い出したのか、七条は右手を唇に当てくすりと笑った。
「すみません。これから伺おうと思ってたんです。遅くなってしまって・・・本当にごめんなさい」
「いやいや、責めているのではありませんよ。僕も君の笑顔を見るのが日課になってしまって
いるもんですからね。どうしたのか心配になって散歩がてら出てきたという訳なんですよ。
・・・迷惑でしたか?」
無論NOと言えない啓太はふるふると首を左右に振って否定する。
「いいえ」
そこまで楽しみにされているとあっては伊藤啓太、行かねば恥。である。
「俺で良ければ」
本当のことをいうとかなりヘロヘロなのだが。
「行きましょう、七条さん」
にこっ。
啓太が小さく口を開け白い歯を見せて笑う。だがその笑みはどこかぎこちなく、そして翳りさえ
見せ始めていた事に、見蕩れていた七条が気づくのはもう少し、後のことだった。
「遅かったな、啓太。待ちくたびれたぞ」
会計部室の扉を開け入ってきた啓太を見るなり、西園寺がソファーから少しだけ体を起こして
不服そうに言った。
「すみません、西園寺さん。すぐ作業にかかります。えっと、昨日の続きでしたよね」
啓太が頭を下げると横から七条の、やんわりと諭すような声が響く。
「郁。そう頭ごなしに怒っては可哀相です。そもそも伊藤くんは会計部の人間ではないのです
からね。顔を見せてくれただけでも有難いと思わないと」
「何を言ってる。私のことを責められる義理がお前にあるというのか?そわそわと落ち着きな
く啓太がいつ来るかとウロウロしていたのは臣の方だろう。傍で見ている私の気持ちにもなっ
てみろ。全く煩わしくてかなわん」
まぁ、どっちもどっちだが。
つまり、結論から言うと二人とも啓太に会いたかったという事だ。
「あと残ってるのってこの机の上にあるファイルだけですよね。俺、ちゃっちゃと終わらせます
から」
二人の気持ちはとても嬉しいが、今の啓太は疲れもほぼ臨界点に達しつつあって。
さっさと終わらせて、学生会に行って・・・それから・・・あとは寮に帰って・・・寝たい。
それだけしか頭に無かった。
「よっ」
三冊ほど胸に抱え込み、右手で元あった場所に片づける。
ちなみに机上にあるファイルは約五十冊ほど。中々の量だ。
それでも、自分が受けた仕事は最後まできちんとこなさないと、と啓太は重いファイルを何度
も持ち上げ仕舞う、という作業を無言のまま繰り返す。
「啓太・・・何か急いでいるようだな」
「折角お茶とお菓子を用意したのですが・・・仕方ありませんね。また今度にしましょう」
女王様とその下僕は視線を一旦合わせたが、やがて諦め気味に頷いた。
「はぁ・・・あと・・・二冊・・・」
腕がだんだん上がらなくなってきた。普段ならこの位へっちゃらなのだがやっぱり連日連夜の
無理がたたっているのだろう。吊りそうだ。肩も痛い。
でも。
これで今日の会計部の仕事は終わりだ。
懸命に自分に言い聞かせ、啓太が最後の一冊を棚に仕舞おうとしたその時だった。
「いたっ・・・」
突き抜けるような激痛に呻き、ファイルを取り落とす。
慌ててそれを拾おうと反対側の手を伸ばした彼は突然大きな力で抱きすくめられた。
「あっ・・・」
「無茶をしますね、君は」
見上げると、咎める様な瞳が自分を射抜いていた。
「ファイル・・・」
「そんなもの、どうだっていい」
ぼんやりと床に落ちたファイルを見つめる啓太の体を抱く七条の手に更に力がこもる。
「でも俺まだ学生会の仕事が・・・」
「そんなものはどうだっていいんです」
優しく語りかける様ないつものとはまったく違う、怒りを露にした、低い、低い声。
そして。
いつの間に、誰と話をしていたのだろう。西園寺がピッ、と携帯の通話ボタンを切ると啓太に向
き直りふぅっ、と息を吐き出しながら言った。
「啓太。お前は良かれと思って手伝っているのだろうが、何でもかんでも一手に引き受けると
いうのは感心出来ないな」
腕の中でピクンと啓太が反応し項垂れるのを見て、七条が声を荒げる。
「郁、一体どういう事です」
「たった今篠宮から電話があった。啓太は大丈夫か、と。お前、ここ一週間うちと学生会の他
にも滝や篠宮や海野先生からも色々頼まれていたそうだな。お前が責任感がある奴だという
事は私も分かっているつもりだ。誰かに頼られるという事で自分を必要としてくれるという実感
も沸くしな。そして頼まれた以上、最後までやりぬくというお前の信念も間違ってはいないと思
う。だがな、啓太。NOと言う事が必要な時だってあるんだ。何十人もいるなら兎も角、お前と
いう存在は残念ながらたった一人だ。出来る事だって限りがある。嫌なものは嫌だと、出来な
い事は出来ない、と言うのは決して恥ずかしいことではない。そんな事でお前を責める奴なん
ていやしないんだから」
西園寺が七条に抱かれてしゃがみこんでいる啓太の高さに腰を落とした。
「だから、無理をするな。滝や海野先生、あと岩井も心配していたようだぞ。彼らはお互い啓太
に仕事を頼んでいたことにさっき気が付いたらしくてな。篠宮は後日皆を引き連れて改めて謝
罪に行くと言っていた」
「そんな・・・俺・・・俺が勝手にやったことですから・・・」
「まぁそう言うな。そこのもお前に何かあるともう私の相手どころではないらしいしな」
啓太がおずおずとまだ抱き締めて離さない七条の手を、少し力を入れて抜こうとすると彼は
「郁、余計な事は言わないで下さい」
と言って再び啓太の頭を自分の胸に押し当てた。
ドクン、ドクン。
かなり早いように思われるその鼓動に啓太が驚く。
「ドキドキしているでしょう?」
身動きが取れない彼に七条が耳元で囁く。
「僕は、君の事になるとこんなに動揺してしまうんですよ」
だからね。
もう無茶はしないで下さい。
・・・僕のためにも。
祈るように呟いた七条の言葉を受けて、啓太が無言のまま頷いた。
結局。
七条はそのまま啓太を寮に連れて帰り、啓太は自分のベッドではなく彼のベッドですやすやと
その夜は熟睡したのであった。
翌朝。
「おはようございます、伊藤くん」
目覚めると、横にいたのは朝日を受けて微笑む七条の姿で。
寮についてから猛烈な睡魔に襲われた啓太はそれからの記憶が無かった。
「簡単な処置はしておきましたけれど・・・腕は大丈夫ですか?」
視線を右腕に移すと、丁寧にテーピングがされていて。
ゆっくりと腕を動かしてみると、まだ少し痛んだけれど昨日よりは全然楽になっている。
「はい、大丈夫・・・みたいです」
それからきょろきょろと辺りを見渡し、漸く自分の部屋でないことを悟った啓太が慌てふためく。
「わっ、俺っ!ご、ごめんなさい・・・七条さん」
「いいえ。当然のことをしたまでです」
するっ。
頭を撫でてくれていた手が背中に回る。
大きな手のひらからあったかい空気が流れ込んでくるような気がする。
啓太は大きく深呼吸をすると七条の胸に頭を預けごめんなさい、と謝った。
「もう・・・俺、無理しませんから」
「はい」
「怒ってないですか?」
「はい」
だが、次の瞬間。
良かったと呟き胸を撫で下ろしかけていた啓太が青ざめる、恐ろしい言葉が彼の口から紡ぎ
出された。
「これからは伊藤くんを無理させないように、どこかの無神経な男にもきつくお灸を据えてやら
ねばなりませんね」
「ひっ」
や、やめて下さい、と縋りつく啓太ににこにこと微笑みかけながら、七条の頭の中では戦いの
ゴングが今正に鳴り響こうとしていた。
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