醒めない微熱

【前】




何をした訳でもないのにどうしようもなく体が熱くなるのは。
きっと彼の所為だ。



「郁、お茶が入りましたが・・・そろそろ手を休めて休憩を取りませんか?余り根を詰めると体
に毒ですよ」
「・・・ああ、そうだな。では少し休むとしようか」
呼ばれた西園寺はぎしりと椅子を軋ませ立ち上がる。それからテ−ブルの上に置かれたカ
ップを見てふっと目を細めた。
「これがこの間二人で見に行った時のものか、臣」
「はい。何軒も廻りましたが伊藤くんがこれが気に入ったと。どうですか?なかなか良いセン
スをしていると思いませんか?」
「ああ・・・悪くは無いな」
立ち上る湯気の香りを胸いっぱいに吸い込めば、心まで染み入るほどの柔らかなもので、自
然と西園寺の顔にも笑みが浮かぶ。
「この紅茶も伊藤くんと選んだんですよ」
「ふーん・・・変わった香りだが啓太らしいといえば啓太らしい。気に入ったぞ」
「そうですか・・・それは良かった・・・」
こぽこぽと自分の分の紅茶を注ぎ入れている七条のカップも実は新しい。この間のデートで
買ったペアのカップの内の一つ。(因みに西園寺が使っているものとは柄こそ似ているが微
妙に違う)残りの一客はと言うと未だ棚の中で。
本当の持ち主に使われるその日をじっと待っている。
会話の合間にも棚の奥に仕舞われているカップをちらり、ちらりと見つめる七条の顔にほんの
少し翳りが見える事を、長年付き合ってきた西園寺が見逃す筈も無い。
「浮かない顔だな。私のカップを啓太が選んでくれた事に対して嫉妬でもしているのか」
「嫉妬?そんな事は無いですよ。僕達だってペアのものをちゃんと買いましたからね、それに
郁に嫉妬するなんて事生まれてから一度も考えた事なんてありません」
心底驚いたという風に肩を竦める七条。下僕と自称している彼が崇め奉るその存在に対して
そのような感情を抱くという事は全くのあり得ないことのようだ。
次にお茶菓子の支度に移った彼を横目で見ていた西園寺がでは何だ、はっきり言えとやや
イラ気味に迫れば逆らう事など出来ない彼はしぶしぶのように重い口を開く。
「心配なんですよ。伊藤くんの事が」
「心配?まだ風邪は良くならないのか?」
「もう一週間ぐらい会っていないんですよ・・・部屋に行っても入れて貰えなくて」


啓太の不注意で割ってしまった西園寺のティーカップ。弁償の意味も含めて新しい物を買い
に行ったのは七条がさっき言った丁度一週間ぐらい前の出来事だ。
妥協はしたくなくて、少しでも前のものと似たような彼の好みそうなカップを見つけようと躍起
になって探した結果。希望通りのものは見つかったものの、その疲れかはたまた元々弱って
いた所為か。その晩咳と鼻水が止まらなくなり、次の日には熱も出して寝込んでしまった。
看病すると志願した七条は「大丈夫です。これぐらい直ぐに治りますから」と丁重に断られ。
一度言い出したらてこでも動かない啓太を知っているだけにそれ以上の無理強いも出来ず
そのまま何日かが過ぎてこうして今西園寺の前で愚痴っている始末なのである。
「篠宮が面倒見ているのだと聞いたが」
「ええ。昨日呼び止めて聞いてみたのですがもうほぼ良いそうです。食欲も出てきているみ
たいですし、そろそろ出てこられるみたいですよ」
「会いに行かないのか?」
「それはそうしたくて仕方ありませんが、しつこくしても伊藤くんが困ってしまうでしょうし」
底に残った最後の一口を飲み終えて、七条はカップを皿の上にそっと戻す。
「自覚があるのか。確かにお前は好きな物に対してはストーカー並に固執するからな」
「ふふ。言いますね、郁も」
おかわりは如何ですかと訊ねた彼に西園寺はいらないと軽く首を振った。
「だがお前の愚痴を聞いているほど早々私も暇では無い。ここでうじうじ考えている位なら行
動を起こした方が懸命だと思うが」
「それでは伊藤くんが・・・」
ふっと溜息をつき、カップの中身を全て飲み干した西園寺がソファから立ち上がる。
「篠宮はもういいと言ったんだろう?なら会いに行っても問題はあるまい。何をびくついている
んだ、臣。お前達を見ていればよく分かる。啓太がお前のことを嫌いになどなったりする筈が
無いだろう。」
「でも郁。伊藤くんは部屋にも入ってくるなと・・・」
「だから、それは移したくないからだと言っていたとお前が言っていたじゃないか。もういい。
本人に聞くのが一番だろう。とっとと啓太の所へ行け」
「郁?」
「私は仕事がある。しばらく話し掛けるな」
再びパソコンの前に座った彼が滑らかな手つきでキーボードを打っていくのをぼんやりと見
つめていた七条はふと我に返ったようにゆるゆるとトレーの上にそれらを片付け始める。
そうして今隣にいない存在の事を考える。
行ってもいいだろうか?
また断られたりはしないだろうか?
幼い頃から受けてきた数々の拒絶や蔑みの言葉。もう慣れっこだった筈なのに。
こんなにも一人の言動が自分の心を大きく揺さぶる。
嫌われたくない。
彼には。彼だけには。
だけど、もう十分我慢したと心の中で呟く。
彼と言う存在がここに無いその事実だけで気が狂いそうになる。表面上は出来るだけ平静に
授業を聞いていても。休み時間でもいつでも何処でも浮かんでくる彼の笑顔が頭から離れな
い。
怒られるかも知れない。けれどもう限界だ、と思う。
一時だって離れたくない。時間が許す限り、ずっとずっといつだって一緒にいたい。

押さえ切れない思いを胸に、七条は一度は持ち上げたそれを再びテーブルの上に戻した。
「郁」
呼びかけた背中は答えない。
「ちょっと出てきます・・・後でまたここに戻ってくるのでこれはそのままにして置きますね」
言うが早いか直ぐに七条の姿はぱたんという音と共に部屋の外へと消えた。
西園寺が振り向き、テーブルの上に置かれたトレーを見て苦笑する。
「本当に必死だな・・・あいつは」
きっと戻っては来ないだろう、明日の朝まで。
仕方ない。それまでこれは放って置いてやろう。
そんな事を考えていた彼の耳に、優美な雰囲気が漂っていた部屋を一変するような野太い声
が入ってきたのはその直後。
「よう、俺の郁ちゃんっ!元気か?」
「・・・・・・」
「何だ何だその露骨に嫌そうな顔は・・・全く素直じゃねえなぁ。本当は嬉しいくせに」
「今私が嬉しそうな顔をしていたらそれこそ嘘をついていることになるな」
ひでぇ、と呟く丹羽を横目に。
窓の外へと視線を移しながら西園寺は小さく微笑んだ。




廊下へ出てみると既に日が沈みかけていた。
まだ明かりがつかない道の向こうで誰か?何かがぼうっと立っているのが見えて。七条はし
ばしばと目を瞬かせるが表情は逆光の所為で残念ながら読み取れない。
誰だろう。彼はしばらくそこに佇んだ。
すると。
その影が突然自分に向かって走り出してきたのだ。
『誰だ?』
はっ、はっ、はっ、はっ。
息を弾ませ、距離をほぼ顔一つ分までに縮めてきた彼がびっくりしている七条の前に立つ。
そうして呼吸を整えながら微笑んだ。
「七条さん!俺、治りました!ほら、この通りばっちりですっ!明日からもう学校にも行けます
っ!七条さんのお手伝いも又出来ますよっ!」」
矢継ぎ早に自分の言いたいことだけ一気にまくし立てた後、啓太は満面の笑みを浮かべて
七条の顔を見上げる。
「伊藤くん・・・今、僕も君に会いにいこうと思っていたんですけど・・・何故君はここに来たんで
す?今日は学校お休みのはずじゃ・・・手芸部の活動でもあるんですか?」
驚きを隠せない七条は一週間ぶりにみた彼の顔が思ったよりもやつれていない事にほっと
胸を撫で下ろしつつも今この夕方のしかも学園に彼がいることを不思議に思う。
「ああ・・・はい。授業は明日からでるつもりです。今日は念のためお休みってしてました。で
ももう何日も部屋でじっとしているの飽きちゃったから・・・会計部、忙しいんじゃないかって思
って・・・つい寮抜け出して来ちゃいました。えへへ」
「別に手伝いなんていつでも出来ますよ・・・明日でも良かったのに・・・」
「でも俺。一秒でも早く七条さんに会いたかったし。七条さんの役に立ちたかったんです!
・・・駄目ですか?俺迷惑でしたか?」
気分を害したと思ったのか啓太の顔がしょぼんとしたものに変わる。七条はそれを見ながら
「違います」と首を振った。
「嬉しいんですよ、本当は。だけど心配でたまらなくてこの一週間僕は、まんじりともしない夜を
幾度となく過ごしました。本当は毎日でも伊藤くんのお部屋に様子を見に行きたかったのです
が君との約束でしたからね。治るまで会わないと。でも・・・かなりキツかったです」
「七条さん・・・俺も・・・俺だってすっごく、物凄く会いたかった・・・です」
七条の腕に啓太がしがみ付く。恥ずかしそうに下を向いて話すのでその表情は見られないが、
相当赤いだろうとの予測は出来た。
一生懸命に、だけどたどたどしい愛情表現に七条はじわじわと満たされていく。
「伊藤くん」
「はい」
「君に触れたいのですが・・・いいですか?」
そっと伸ばされた指が啓太の左の頬に触れる。きょとんとした啓太の顔を見つめながら七条
はもう片方の手を右の頬に。
「あ・・・の?」
なぜいきなり、いや今更そんな事を聞いてくるのか。不思議に思いながら啓太は七条の瞳を
じっと見つめる。すると元々細い目はもっと細められて。
「ああ、やっぱり本物が一番です」
「は?」
息つく間も無かった。気がついた頃にはもう、伸ばされた長いその手が啓太の細い腰をする
りと包み込んでいた。
「何度も何度も君の夢を見ました。その度に触れたくて、仕方無くて。恋焦がれる、って言葉
はきっとこういう事を指すんでしょうね・・・」
「んっ・・・くすぐった・・・っ」
抱き締められた腕の反対の手で。そろりと顎のラインをなぞり上げらればひくりと喉を鳴らす。
「ぅんっ・・・あ・・・」
「君は?会えない間僕の事を考えたりしていましたか?」
「・・・え、それは・・・」
「どうですか?」
畳み掛けられるような質問に啓太は降って来る無数の口付けをうっとりとした表情で受け止
めながらはい、と消え入りそうな声で呟いた。
「俺も・・・俺だって七条さんに会いたくて・・・会いたくてたまらなかった・・・です・・・だから一
刻も早く治そうと思って・・・あんな事言っちゃったんです・・・」
「そうですか・・・でもね、伊藤くん。そんなの僕に移しちゃっても良かったんですよ。」
「だってそれじゃ今度は七条さんが寝込んじゃうじゃないですか。俺そんなの嫌ですっ!」
ぷんと横を向く啓太がたまらなく愛しくて愛しくて。
もう一分たりとも我慢の効かない七条はそれでも表面上はにこやかに微笑んで。
「ああ、そうですね。二人とも元気でないと、沢山えっちが出来ませんからね」
天気のことでも話すかのようにそんな言葉をさらりと云われて。一瞬の間を置いて啓太の体
中の血という血が物凄いスピードで廻り始める。
「そ、そんな事・・・」
「無い?」
ズルズルと七条のペースに引きずり込まれていく。慌てる。慌て出す。
大好きな人の我儘は何でも聞きたいと思うし・・・何より自分も彼と今同じ気持ちだから余計
にだ。
「・・・あります」
「伊藤くん?」
「俺も・・・そのっ・・・し・・・ちじょうさんとしたいって・・・思ってたから・・・」
啓太を抱え込むその手にぐっと力がこもる。思わずそっと七条の顔を盗み見るとその瞳が熱
を帯び始めており、それを見た啓太はびっくりして言葉を失う。
七条は体制万全の様子だ。興奮している為か少し掠れた声で。耳朶に熱く息を吹きかけな
がらふにゃりと蕩けてしまってる啓太に肯定を促すような質問を繰り返していく。
「じゃ、いいですか?」
「・・・あの・・・」
「今から君の部屋に行っても・・・いいですか?」
「・・・は・・・はい」
「本当にいいですね?」
「・・・はい」


その言葉がどんな意味を持つのか、それが分からないほど
子供ではない啓太は。
一回目は戸惑い気味に。
二回目は恥ずかしそうに。
真っ赤な顔でこくん、と頷いた。


[つづく]

<補足>
後編は「えち」アリの為、実は隠してあります。
このページにヒントが隠されていますので是非怖いもの見たさの方だけ探して
見て下さいね。ちょっと意地悪な隠し方かも?


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