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「啓太」 呼ばれただけで背筋が伸びるほどの低いテノール。 いつも反射的に体がびくっ、としてしまうけど。 違うんだ、怖いだけ、じゃなくて。 ・・・・・嬉しいんだ。あの人に名前を呼んでもらえることが、どうしようもなく。 「・・・聞こえなかったのか、啓太」 もっともっと呼んで欲しくて、わざと返事をしないでいたら、次の瞬間ぐ、と強引に身体を引き寄 せられた。 「うわっ・・・・・・っ」 目の前には端整で、鋭利な刃物の様に切れそうな視線を向ける中嶋のアップ。 息がかかる位近くまで引き寄せられて、啓太はぎゅっ、と反射的に目を瞑った。 (キス・・・・されるの、かな) しかし、いくら待ってみても目の前の「彼」からはキスされるどころか、言葉も発されない。 やがて。 「・・・・・・・・・・・・くっ」 彼お得意の小馬鹿にしたような短い笑いが、期待していた啓太の心を萎ませてゆく。 「何を待っている、啓太。俺がお前にキスするとでも思っていたのか?ふん、尻尾まで見える ぞ、ぱたぱた嬉しそうに揺れている。まるで犬だな」 はっと啓太が顔を上げると、元々細目の切れ長なそれが更に細められて彼を見下ろしていた。 心を見透かされたようで、正視できなくなった彼は慌てて視線を逸らす。 「ち・・・がいます。中嶋さん、俺は・・・・・」 「なにがだ」 「俺はっ・・・その・・・・・あの・・・」 言っている内に涙が溢れてきてしまって、段々支離滅裂になっていく仔犬をしばらく眺めてい た中嶋は。 ふぅ、と深く大きなため息をつくと、「本当にお前はガキだな。もういい大人なんだからいい加 減慣れろよ」と言って長い指を伸ばし、頬に触れた。表情とは対照的な、優しい仕草で涙を拭 い取っていく。 「な・・・かじま・・・さんっっ」 「泣き虫だな、お前は」 堰を切ったように本格的に泣き始めた啓太を両手で包み込み自分の胸に引き寄せると、皺 一つ無い白いワイシャツが啓太の涙でじわじわと濡らされてゆく。 それは中嶋を満足させる、心地良い冷たさ。 二人だけのその部屋には暫くの間啓太の嗚咽だけが響いていた。 ようやく泣き止んだ啓太が中嶋を見上げると。彼は啓太を抱えながら西日が差し込む窓の外 をじっと見ていた。 慌てて顔を離すと涙染みをしっかりとシャツにくっつけたことに今更ながらに気が付いて。 「あの、中嶋さん。すみませんでした。俺っ、何か途中から涙が止まらなくなって・・・わっ、シャ ツ濡れちゃった!」 ごめんなさい、すみません、と何度も謝る啓太に中嶋は何も言わずそっと唇を重ねる。 「・・・・・ちょっ、なか・・・じ、ま、さん。・・・・・んっ・・・・ぅん・・・・っ」 「まだわかってないようだな、啓太。俺が好きなのはお前の笑顔なんかじゃない」 「え・・・・・?」 「お前の、泣き顔、だ」 「・・・・・・」 なんて人だろう。 笑顔が好き、って言うならまだ嬉しいけれど泣き顔が良いなんていわれて喜ぶ奴なんている だろうか。 啓太は彼らしいといえば彼らしい多分褒め言葉を些か不満気な様子で受け取るが。 「だが」 ふん、と一際大きく鼻を鳴らした中嶋は薄茶色のクセ毛を無造作に掻き揚げるとその額に啓 太が目をひん剥く程の優しいキスを一つだけくれた。 「な・・・なかじま・・・さん?」 訳が分からず、だけど嬉しくて。思わず顔を綻ばせた啓太に、その未だ真意を測り取ることが 出来ない難攻不落の恋人はこう付け加えたのだった。 「泣かせた後にこうして優しくしてやる事でお前が見せる笑顔は・・・相当俺のツボをついてい るから安心しろ」 と。 |