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ぐつ、ぐつ、ぐつ。
テーブルの中央では良い感じの湯気が上がっている。
寮の食堂。
とうに利用時間は過ぎているが、今日使用することを前もって篠宮さんが掛け合ってくれたの
で誰からもお咎めを受けることはない。
それにしても・・・
「そろそろええんちゃいます?」
じっとしていられない俊介がさっきから気忙しげに箸を動かしている。
「いや、まだだ」
篠宮さんはじっと蓋を見つめている。
「あー、腹減りすぎて目が回っちまう。半生でもいいや、もう食おうぜ」
溜息を吐き出して悲痛な声で叫ぶのは今回の「中嶋さんの誕生日に鍋をやろう!」と提案し
た本人、王様だ。
「もう少しだから待て、丹羽」
「いーや、俺はもう待てねぇ。食うったら食うんだ。いいよな、ヒデ」
同意を求める王様の隣に憮然とした表情で座っている中嶋さん。今回の主役なのにちっとも
嬉しそうじゃない。
「・・・何故お前らと夜中に鍋を突付きあわなければならない」
それどころか益々眉間の皺が深くなってゆく。俺は慌てて何とかフォローしようと何度か試み
たのがその度に返ってきたのは「うるさい」とか「黙ってろ」という否定の言葉。今はもう何も
気の利いた事なんて云える筈も無く。しゅーしゅーと音を立てるそれが早く出来ないかとそれ
ばかりを祈るのみだ。
「だってよ。お前に何か欲しいものがあるかって聞いても『形に残るものなんていらない』って
言われちまったしな。そしたら消えものしかないだろうが。前やった啓太の歓迎会の時みたい
に皆でお前を祝ってやろうって思って・・・楽しくていいだろ、たまにはこういうのも」
「俺はお前と違って大人数で騒ぐのは好きじゃない。寧ろお前がやりたかっただけだろう」
「・・・何故バレた」
「単純明快なお前の考えている事なんて目を瞑っていても分かるぞ」
「げっ」
いつもの通りの王様と中嶋さんの会話を見ていた俺は、隣で何かがごそっと動いたのでびっ
くりして思わず椅子から落ちそうになった。
「・・・悪い。驚かせたか、啓太」
俺の顔を心配そうに覗き込んだのは岩井さんで。俺は直ぐに「大丈夫です」と頷いた。
「篠宮・・・俺もそろそろじゃないかと思うんだが」
「岩井まで・・・まぁでもそうか。丁度良い頃合かも知れないな」
材料は俺と俊介で行ったものの、下ごしらえは殆ど一人でやった篠宮さんが鍋奉行だったと
云う事は予想の範疇。
誰にも触らせないぞという物凄い気迫に一人として俺達は逆らう事が出来ない。
「・・・では蓋を開けるぞ」
・・・ごくっ。
皆が(中嶋さんを除いて)固唾を飲んで見守る中辺りに立ち込めたのは、食欲をこれでもかと
刺激する、美味しそうな匂いだった。
「うひゃー!美味そうだっ」
王様は早くもちゃっかりと取り皿を片手に箸を鍋の中に突っ込もうとしている。するとそこへ篠
宮さんの容赦のない一言が飛んだ。
「丹羽。今日は誰が主役なんだ?こういうものはまず最初に主役が取るものだろう」
「・・・ちえっ。わーったよ。ほれ早く自分の分取れ、ヒデ」
しぶしぶ頷いた王様は中嶋さんを促す。
「丹羽っ!」
「王様っ」
俺と篠宮さんが嗜めると当の本人は、「いい。俺は最後で」と言ってレンズが曇ってしまった眼
鏡を不快そうな表情でゆっくりと外した。
「先に取っていいぞ、丹羽」
「いやぁ、流石。やっぱ持つべきものは友達だぜっ」
歓声を上げるや否や物凄いスピードで王様が皿に具をよそい始めた。
「あんまり肉取らんで下さいよ、王様。俺らも食いたいんですから」
「ハニーのは僕がよそってあげるよ。会長、そろそろストップして下さい。ハニーのお腹がさっ
っきからぐうぐう鳴っているんで」
頬を膨らませる俊介の隣で王子様みたいな笑みを向けてきた成瀬さんの言葉に、俺は瞬時
に凍りつく。・・・やっぱり聞こえてたみたいだ。
だってとっても楽しみで今日はお昼以来何にも食べてなかったんだもんなぁ、俺。
「そっか。啓太腹減ってんのか。そりゃ悪い事したな。もういいぜ、ほら思う存分食え」
「で・・・でも・・・」
「そうだな、伊藤は一番この中で若いし。食べ盛りだからな」
いや、篠宮さんまで同意されても。
いくら俺が食い意地が張っているからって王様の次になんてそんな大それた事なんて出来る
訳がない。それに主役は中嶋さんなんだし。
「中嶋さん、何食べたいですか?俺よそいますよ」
篠宮さんが持っていた菜箸を引き取って。そう言うと中嶋さんは眼鏡をかけていない顔でじっ
と俺を見た。それを目にした成瀬さんは面白くないのか俺の袖をぐいぐいと引っ張る。
「あーっ中嶋さんいいな。ねぇ、ねぇ、ハニー。じゃあ僕のもよそってよ、ね?」
やんわりとその手を制しながら俺は小さく笑って「はい。じゃ後で・・・」と答えると。
成瀬さんは手を叩いて子供のようにはしゃぎはじめた。
「本当っ?約束だよっ。できればふうふうして食べさせてもらえたらもっとサイコ−なんだけど」
「・・・成瀬」
妙にドスの聞いた声が夜の食堂に響く。和気合い合いだったその場の雰囲気が突如氷点下
になった。
「何ですか、中嶋さん」
「・・・しつこい男は嫌われるぞ」
「僕は別にしつこくなんてありません。ねぇ、そうだよねハニーっ」
「そこら辺で辞めとけ成瀬・・・ありゃあヒデが本気で怒ってる時の目だぜ」
こそっと王様が成瀬さんに耳打ちしていた言葉を偶然聞いてしまった俺はびびりながらも気
になってしょうがなくて。そっと中嶋さんの顔を盗み見る。
・・・どうしよう。
能面のように固まった顔中の筋肉の中で唯一動いている口元のそれは、王様の云う通り完
全に頭に来ている時のものだったんだ。
「なっ、中嶋さんこれっ。白菜と、お肉と、ねぎと、椎茸と、お豆腐。まだ何か欲しいものありま
す?俺取りますから何でも言って下さいね」
とりあえずよそった皿を半ば押し付けるように中嶋さんに渡すと、しぶしぶながら受け取ってく
れて。ほっと胸を撫で下ろす。
一方で。
「・・・篠宮、俺も食べていいか・・・お腹がすきすぎて倒れそうなんだ」
「あ、ああ。お前には別に粥を作ってやろうと思っていたんだが・・・鍋食べられるのか?」
「・・・俺は別に粥が大好物な訳じゃない・・・豆腐が食べたいんだが」
「他には?」
「いや今はそれだけでいい」
「よしよそってやる、待ってろ。お前はすぐに風邪を引くからな・・・ねぎも沢山入れてやる・・・
ほら」
豆腐の上にいくらなんでもそれは入れすぎだと思われたてんこ盛りなねぎを見て一瞬岩井さ
んが眉をひそめたのを見逃さなかった俺は思わず吹き出した。
「肉肉っと・・・・・・おっ、底の方にあったっ」
俊介が鼻歌を歌いながら嬉しそうに具をよそっていく。ふと俺の視線に気がつくと軽くウインク
を投げてきた。
「ほら、由紀彦。俺って気ぃきくやろ。お前の分もよそっておいたで」
「えーっ!僕はハニーにやって貰いたかったのに・・・」
「ぐちゃぐちゃ抜かすなっ!早よ食え。冷めてまうで」
「ちぇー」
ぶつぶつ言いながら食べ始める成瀬さんを見て、俺に向かってにっと笑う彼。
「ありがと、俊介」
こういう時機転が利く俊介が羨ましいと思いつつ、俺も自分の皿に漸く残った具をよそい始め
た。
30分ほど経っただろうか。
具が無くなっては足し、無くなっては足していって鍋はあっという間に空になった。
半分は王様が食べたんじゃないかと思う位そのスピードたるや尋常では無かった。
「ふー食った食った」
爪楊枝を使いながら王様が満足気に呟くその横で、中嶋さんは徐に立ち上がる。
「もういいか」
周りを見渡し異議が出ないのを確かめると俺の手を取った。
「なか・・・じまさん?」
「行くぞ」
「え・・・あの・・・」
「ハニーっ!」
成瀬さんの俺を呼ぶ声が段々遠ざかる。
いつも冷たい筈の中嶋さんの手がちょっとだけ汗ばんでいた事に気がついたのは。
中嶋さんの部屋に入ってそれを離された時だった。
「もうすぐだ」
「え?」
カチ。
と時計の針が音を立てるのを耳にして、目をやるとちょうど時刻は0時を指し示していた。
「・・・あの」
「何か言うことはあるか?」
「・・・お誕生日、おめでとうございます」
すると中嶋さんはいつもの皮肉っぽい顔じゃなくて。何か・・・何ていうか本当に嬉しそうな顔
になったんだ。
「・・・ああ」
俺は嬉しくて嬉しくて、自分からそっとキスをした。するとその表情はもっと柔らかなものに変
わっていった。
結局中嶋さんが欲しかったものが何だったのか。
俺も、王様も、誰一人としてそれを知る人はいなくて。
本人から聞き出せたのは鍋をやった日から、1ヶ月ぐらい過ぎた頃だった。
・・・来年の誕生日も同じプレゼントでいいですか?中嶋さん。
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