Kiss&Kiss(丹羽哲也の場合)



それは俺が会計部から託った書類一式の入っている分厚い封筒を胸に抱え学生会室へと
続く廊下をひたひたと歩いていた時だった。
少し離れた向こうからやってくる見覚えのある青い髪の人。俺が軽く会釈をすると直ぐに気が
ついてくれたみたいだった。滅多に笑顔を見せないこの人は口元だけを緩めることが多く、大
抵の場合は目が笑ってないんだ。
「・・・啓太か」
「こんにちは」
「今日は犬の使いか?」
「はは・・・」
困った俺は苦笑いで誤魔化す。
そうですというのは失礼だし(うっかり本人が近くにいたら危ない。七条さんという人は神出鬼
没なのだ)、逆に以前そんな言い方は良くないですと言った途端この人はお仕置モードに突
入したっけ。いずれにしても滅多なことは言わないに越した事はない。
それが自分自身を保守する術ともなるのだ。
「中嶋さんこそ、どちらへ?今からそちらに書類を持っていこうと思っていたんですけど。何で
も緊急だから直ぐに目を通してほしいとのことですよ」
「ふん。緊急と言っても向こうの都合だろう。こちらはそんなものがあることなど今初めて聞い
たぞ」
「いえ、理事長から直々に緊急事項だからと押し込めれたと西園寺さんが」
「何だと?・・・全く勝手な・・・まあ仕方が無い。丹羽なら探しに行かなくてもそこにいるから適
当にたたき起こすなりなんなりして渡しておけ」
そう言うと中嶋さんはさっき自分が出てきた学生会室のドアを親指で指差した。
「はぁ・・・」
「俺は用事があるからこれから出かける。帰りは大分遅くなるから鍵は閉めて置いて構わん
とアイツに伝えておいてくれ」
「はい」
行ってらっしゃいと言うと中嶋さんは何も言わずぽん、と俺の頭を叩き去っていった。

ノックをして起こしても良かったのだけどそれではびっくりしてしまうかもと思い、俺はそうっと
学生会室のドアを開けて中に入った。

ぐおおおおお。
すぴーきゅるるるる。
ふごごごごごご、があああああ。

パイプ椅子を三つほど並べたその上で、今にもずり落ちそうな体勢の王様が恐竜のようない
びきをかいて熟睡していた。
布団代わりにしていたのだろうか、ジャケットが床に落ちている。

ふごごごごご。ぐがあああああ。

とっても気持ちが良さそうだけど、起きるのを待っていたら日が暮れてしまいそうだしな。
俺は書類をそっとパソコンデスクの上に置いてから床のジャケットを拾い、ハンガーにかけた。
それから王様の側へ寄る。
「王様ー。おうさま、起きてください」
小声で耳に囁いて肩を軽く揺さぶった。
「んんー」
王様は身じろぎした後、不愉快そうに眉根を寄せた。
起きるかなと思ったけれど直ぐに元の気持ちよさそうな顔に戻ると再びいびきをかきはじめて
しまった。

「ごがああああ・・・・すぴ」
「うーん・・・」

肩だと駄目なのかなと、今度は綺麗に髪が真ん中で分かれてむきだしになっているおでこを
叩いてみることにした。

ぺち。


「・・・ん・・・」

ぺちぺち。

「王様ってばー」

「んあー?」

がああああ。
獣のような唸り声を上げたかと思うと今度は王様の口がもにょもにょと動いた。
何か言っている。

もっとよく聞こえる位置に行こうと耳を王様の口に持っていくと今度は聞こえた。が。

「うまそーだなぁ・・・」

へ?
思わずその表情を見ようと正面を向いた瞬間。

がじ。

「ひっ!」

この時一体誰が予想できただろう。まさか、自分の鼻が食べられるだなんてことに。
あまりに突然な出来事に自分自身何が起こったのか一瞬分からなくなったほどだ。

かじかじかじ。

口を動かす王様。思いっきり歯を立てられた俺は言葉を発する事も出来ない。
だが徐々に増す痛みと共に自分の置かれている立場はちゃんと分かってきた。
間違いない。
明らかに何か食べ物と勘違いされている。
噛み切られたらそれこそやばい。っていうか王様だったら絶対にやる。


手で口をこじあけやっとの思いで鼻を離す。だが直ぐに太い腕が伸びてきてぎゅむと物凄い
力で体を引っ張られてしまう


「わっ、ちょ、ちょっ」

あれよあれよとバランスを崩す自分。
気がつけば俺の唇は王様のそれとぴったりとくっついていた。

「んっ・・・」

引き剥がそうにも王様の力が強すぎて逃げられない。
キスした状態のまま固まってしまった俺の頭はどんどんぼうっとなってくる。

ああ・・・王様の口って結構柔らかいんだ・・・

そんな悠長なことを思っていたのがいけなかった。
俺はその瞬間すっかり忘れていたんだ、まだ王様が夢の中にいたってことを。

がぶ。

「!!!!!!!!!!!」

声にならない悲鳴を上げた後。胸の中でごめんなさいと呟くと。


どがっ!

俺は。
満身の力を込めて王様を殴りつけたのだった。









翌日の学生会室では。
何故か鼻に大きな絆創膏を貼り、頭からは湯気を立てている啓太がパソコンの入力作業を行
っている後ろで椅子の背もたれに顎を乗せそれを見ている丹羽が先程からしきりに首を傾げ、
横にいる中嶋にこそこそと耳打ちしていた。


「ヒデ。なんか啓太が機嫌悪いみたいなんだけどさ・・・お前何か聞いてるか?」
「さあな。そんなに気になるのなら本人に聞けばいいだろう」
「んなこと怖くて出来るかよ。昨日からずっとあれなんだぜ」


小声で繰り広げられる会話の内容は啓太の耳には届いていない。

彼はひたすら、王様のばか、王様のばか、と呟きながら。

口をへの字に曲げて一心不乱にキーボードをぺちぺちと叩いていた。

Back